米は高校投手も肘にメス 靱帯手術、日本と意識差
スポーツライター 丹羽政善
メッツのクラブハウスからダッグアウトまでの通路を松坂大輔(メッツ)と並んで歩く。やがて、今にも雨が降り出しそうな厚い雲に覆われた空が視界に入ってきた。外野でのストレッチがまだ始まっていないのを確認して立ち止まった松坂は、静かに言った。
「靱帯の回りの筋肉を鍛えることで、ごまかしはきくかもしれない。でも、肘をかばいながら投げていると、今度は肩をおかしくする。僕がそうでしたから」
■「プロに行くために」16歳が肘手術
内側側副靭帯(以下靭帯)を損傷し、肘の痛み、あるいは再発の恐怖と向き合っているであろう、ある投手についての会話である。それは図らずも、松坂自身が靭帯の移植手術(通称トミー・ジョン手術)を避けられなくなる状況へと一歩一歩近づいていった過程を振り返るような形になった。
「難しいでしょうね。(手術するかどうかの)判断は」。しかしその選手が米国にいるならば、おそらく、いや確実に「靭帯は自然治癒することはない。いずれ手術をしなければならないなら、すぐにした方がよい」と勧められ、痛めてから半月もしないうちに、トミー・ジョン手術を受けることになるのではないか。
松坂が手術前に病院で会ったある男性は、こう言ったそうだ。「うちの16歳の息子は、プロに行くためにトミー・ジョン手術を受けたんだ」。これには松坂も驚いたそうだが、同手術に対する日本と米国の意識の違いを如実に示す話でもある。
■靱帯手術、米34.4%で日本は4.4%
昨年7月、米国であるデータが公表された。「ブリーチャー・リポート」のウィル・キャロル記者が、昨年の開幕ロースター入りした全投手に関して、過去にトミー・ジョン手術を受けたことがある、あるいは7月までに手術を受けた選手の数を調査したところ、全体の約34.4%にも達していたそうだ。
ここ10年ほど、10%前後だろうと推定されてきたが、実際はその3倍を超えていた。この結果には、投手の故障に詳しいキャロル記者自身でさえ、「驚き」と表現した。
日本のプロ野球ではどの程度かと思い、昨季最後に出場選手登録されていた日本人投手が過去に靭帯の移植手術を受けた割合を調べてみると、わずかに4.4%だった。
この中にはリハビリ中の選手の数は含まれていない。キャロル記者の調査にも同様の選手は含まれていないので、すべてを含めればもう少し多くなるはずだが、いずれにしてもその差が極端に縮まることはないと推測できる。
では、この差はどこからくるのか 。
それを松坂、黒田博樹(ヤンキース)らに尋ねると、口をそろえて答えた。「日本では保存療法がとられるからでしょうね」。日本なら靭帯を痛めても、取りあえずは治療とリハビリで様子を見る。黒田はこうも言う。「メスを入れるということに関して、まだ抵抗があるんじゃないでしょうか」
実際にメスを入れた松坂はこう振り返る。「昔より手術を受けてもよいと思う選手が増えてきたかもしれないけれど、僕も実際、佐々木(主浩=マリナーズなど)さんが肘をクリーニング手術したと聞いたとき、絶対に肘とか肩にはメスを入れたくないって思ってましたから」
■「投げすぎ」で肘が故障と考える米
確かに4.4%には、潜在的に手術を必要とする日本人投手がいたとしても反映されていない。そうした選手が米国にいれば、手術に踏み切るケースもあり得る。その数を含めれば、割合は倍近くになるのかもしれない。
名門エール大の出身で、引退後は医学の道を志すといわれるクレイグ・ブレスロウ(レッドソックス)にも日米で差が生じた解釈を求めると、まずそこを指摘した。「靭帯を痛めている日本人投手が米国で診察を受けたとき、手術が必要だと診断されるケースがどのくらいあるか。そこで初めて比較ができるのではないか」
もっともだが、彼はこうも付け足している。「とはいえ、ここまで数が開いているなら、並ぶことも、数が逆転することもないだろう。ということは、何らかの要因があると考えた方が自然だ」
米国において肘の故障は、主に「投げすぎ」が原因と捉えられている。昨今、手術を受ける選手の低年齢化が危惧されているが、それに関しては子供たちが昔と比べて、1年を通して野球をするようになり、小さな頃から酷使されているから、との見方がある。
■日本のプロ投手、皆投げ込み経験か
藤川球児(カブス)の靭帯移植手術を行ったジェームズ・アンドリュース先生らは、その考えを強く主張し、少年野球でもさらなる管理が必要と訴える。
このことは、米国の少年スポーツの現状を知らないと分かりにくい。米国では多くの子供たちが季節ごとに別のスポーツ競技を楽しむ。例えば3月から6月は野球、7月から10月はアメリカンフットボール、11月から翌2月はバスケットボールというように。
しかしながらこのところ、有望な子供たちは地域の選抜チームに選ばれるなどして1年中、野球をするようになった。それで幼い頃から登板過多になる子供が増えた、という捉え方のようである。
肩や肘は消耗品と考える米国らしい論法だが、日本人ならその捉え方に違和感を覚えるのではないか。日本では1年中、野球をすることが当たり前なのだから。
逆に米国の尺度で、日本の野球を理解することは難しい。甲子園での4連投、5連投は例外としても、一定期間とはいえ、週末に行われる高校の練習試合ではエースが連投もする。また日本において、米国で批判の多い「投げ込み」を経験していないプロの投手など、皆無に違いない。
そんな違いを説明し、ブレスロウに改めて日米でトミー・ジョン手術を受ける投手の割合にここまで差があることの背景を尋ねると、「興味深い」と言った上で続けた。「準備やケアの違いもあるのだろうが、体の違いも関係しているのではないか。投球フォームなんかも含めて、一度きちんと検証すべき問題だと思う」
■日本投手、投げ方が良く故障少ない
100マイル近い快速球を投げるカブスのジェフ・サマージアは、日米の投手に顕著なのは「投球フォームの差だ」と話した。「日本人投手は総じて、肩や肘に負荷のかからない、きれいな投げ方をしている。黒田の投げ方とかは本当に無理がない。故障が少ないのはそこに理由があるような気がする」
では、そのフォームをつくり上げる背景には何があると思うか?と聞くと、意外にも「投げ込み」と答えた。「理想のフォームを目指し、試行錯誤しながら多くの球を投げることによって、ぶれない安定したフォームができるのではないか」
米国では「バカげている」「肩を壊すぞ」と見なされ、評判の悪い「投げ込み」をそんなふうに肯定する関係者は少なく、サマージアも「米国では無理」と話す。「隠れてやるならできないこともないけれど(笑い)、こっちではやらせてもらえない。そのフォームをつくる過程で故障したらどうする?という考え方だから」
■独特の投げ方が生む独特の変化球
サマージアの口から名前が出た黒田にこの話をすると、こんなエピソードを教えてくれた。「オフにロサンゼルスでマイナーの選手らと自主トレをすることがあるのだけれど、彼らに言われたことがある。『小さい頃にきちんとした投げ方を教わりたかった』って」
大リーグ中継などを見ていると、結構クセのあるフォームで投げる投手が多いことに気づくはず。日本人投手らにしてみれば「大丈夫かなあ」と思うそうだが、マイナーからメジャーへ上がる過程で、それが大きく矯正されることはない。独特の投げ方により独特の変化が生まれる。それを生かす方が大切だ、という考え方が根底にある。
アストロズのスコット・フェルドマンという投手の場合、鋭いカットファストボールを投げ、それが生命線。以前、投げ方を聞くと、彼は表情を変えずに言った。「分からない。自然にカットするから」
そのことを黒田に伝えると、「僕らにしたら羨ましいところもありますよね」と苦笑いしたが、若い選手の中には「このフォームで投げていては、いつか故障をするのでは」という危惧を持つ投手も少なからずいるようである。
■投球制限により投手を守れるのか
そんな状況に対して、エンゼルスのC・J・ウィルソンは「投手コーチらに責任がある」と訴えた。「本来、故障のリスクを軽減できる投げ方を教えるべきだと思う。球数制限なんかするより、投手を守るということでいえば、よほど効果的なはずだ」
図らずも球数制限の話が出たが、その捉え方についても日米で大きく異なることは周知の通り。日本では先発投手が完投して120球投げたとしても特別な議論は起こらないが、米国なら続投させた監督が批判の対象にもなる。「潰す気か」と。
とはいえ、果たして投球を制限することで投手を守れるのか?という声があるのも事実だ。例えば、メッツのマット・ハービーやナショナルズのスティーブン・ストラスバーグらは、マイナー時代から厳格な投球制限に守られてきたが、いずれもメジャーに昇格した後、肘を痛めてトミー・ジョン手術を受けている。
「守る」だけが正しいのか。捉え方そのものは、現役の投手らでも割れるところだ。
■子供時代に多投しても結果に違い
ウィルソンはマイナー時代にトミー・ジョン手術を受けた。痛みそのものは中学の頃から感じ始めていたという。「中学の頃、最初に入ったチームは週に1回しか投げさせてくれなかった。だから複数のチームに入って週に2、3回投げていたら、痛みが出てきた。今は自分に合ったフォームで投げているから120球投げても何ともないが、あの当時はむちゃをした。投げるという行為だけを捉えれば、やはりリスクを伴うのではないか」
一方でサマージアも、子供の頃はやはり「週に2、3回は投げていた」そうだが、「何ともない。逆に肩を強くしてくれたような気がする」と話す。
彼は5月5日の試合で126球を投げた。試合後、チームのジェド・ホイヤー・ゼネラルマネジャー(GM)が懸念を示すと、サマージアは反発していた。「言われていることが理解できない」
おそらく球数について、松坂ほど日米で議論を巻き起こした投手はいない。メジャー移籍に際しては、米メディアがこぞって「信じられない」とでも言いたげに、高校時代からの「投げすぎ」を大げさに伝えた。
■日本は治療・リハビリ、米は手術
その松坂に投げることと故障の因果関係を問うと、「投げる度に血管が切れてますから、負荷がゼロということはない」と言いつつ、こう続けている。「長いこと投げていたら仕方がないことかもしれないけれど、たくさん投げてるからって、なるものでもないと思う」
その後、少し考え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。「ケガをする、しないはその人次第というところもあるけれど、(自分は)ケガをしないようにケアをしていた。ケアが足りなかったという考えはない」
となるとこの問題――肘の故障の原因に明確な答えが存在するのかどうか。松坂も明確な答えを持たなかった。「そうですね。100%こうだって言うのは……」
一つはっきりしているのは、ケガをしてしまってからの対応だ。治療、リハビリに重点を置く日本に対し、米国では手術が主流。その数は今、増える一方である。
「グラントランド」というウェブサイトによると、毎年4月11日時点で比較した場合、昨年はメジャー、マイナーを含めてトミー・ジョン手術を受けたのは8人だったが、今年は23人を数えた。これまで最高は2012年の12人だったから、今年はそれを倍近く上回った。
その理由の一つが既に触れたように、幼少期からの投げすぎが原因と指摘されているわけだが、すぐに手術に踏み切る傾向もまた、そこに拍車をかける。
■手術後、防御率向上との調査結果も
アンドリュース先生は「治療とリハビリという選択肢もある」と話しているが、チームのGMや選手らがそれを望まないのだそうだ。3カ月様子を見るとする。しかし、それでも手術をしなければならないとしたら、その3カ月が無駄になるという考え方がうかがえる。
手術の高い成功率も背景にある。3月、スポーツ医学の専門誌が1986年から12年までにトミー・ジョン手術を受けた216人(メジャーリーガーのみ)のその後を調査したところ、83%がメジャーに復帰、97%が少なくともマイナーのマウンドに立ったと紹介していた。同誌によれば、手術前の2年と手術後の2年を比較した場合、手術後の方が、防御率が良くなっているそうである。
高い成功率に加えて成績が上がっているのだから、冒頭で触れたように将来のプロ入りを目指す子供たちでさえ、迷わず肘にメスを入れるわけである。
松坂によると「(ルイス・)ヨーカム先生(松坂の執刀医)は年間100人ぐらい(手術を)やってるって言ってました。結構、ティーンエージャーが多いって」。
■高校生時点で日米で大きな意識差
リハビリに約1年を要する大手術にかかる費用を親がどう工面するかも興味深い。昨年5月に亡くなったヨーカム先生は子供たちを手術する場合、たった1000ドルしか請求しなかったそうである。ヨーカム先生がチームドクターを長く務めていた関係で、「いろいろとケガの原因なんかについて教えてもらった」というエンゼルスのウィルソンが教えてくれた。
このことをおそらく、米国の高校生は知っているのだろう。一方、そんな知識も含めて、果たしていま日本の高校生に米国の高校生の意識が理解できるだろうかと松坂に聞くと、「無理でしょうね」と否定している。
「日本の場合、普通だとプロに入るためにトミー・ジョン手術を受けるという考えはないと思う。甲子園があるし、その先のプロということを考えたら、逆にできないと思ったりしますよね」
考えてみれば、高校生の時点で日米ではこれだけ意識が違うのだから、プロに入って靭帯を痛めたときの決断にも差が出るわけである。
■肘かばえば肩…取り返しつかなく
さて、冒頭で話題にした選手は手術に踏み切るのか否か。松坂、藤川らによると、損傷の程度にもよるが、時間をあければ、また投げられるようになるのだそうだ。ただ、その時に肘をかばえば肩の故障につながり、取り返しがつかなくなる恐れがある。
松坂は一般論として「長く投げたいならば、手術した方が僕はよいと思う」と話し、こう付け加えた。「いい状態に戻れるかどうかは別として」
大切なのは、その選手が正確な情報を伝えられ、誰かの思惑に左右されることなく、リスクも含めてすべての選択肢を開示された上で、決断できるかどうかだろう。
そのとき、松坂や藤川のような手術経験者の偏りのない話に耳に傾けることも必要かもしれない。その選手がいま聞きたい、知りたいことがあるのだとしたら、それに対して経験を交えて答えられるのは、おそらく彼らだけなのだから。