氷上の美学(杉田秀男) 攻めの姿勢と底力…安藤、3度目五輪の可能性あり
フィギュアスケートの元世界女王で3季ぶりに復帰した安藤美姫(25、新横浜プリンスクラブ)が、東日本選手権で2位に入り、ソチ五輪日本代表の最終選考会となる全日本選手権(12月21~24日、埼玉)の出場権を獲得した。2年間のブランク、4月に女児を出産したことを考えれば、回復力はめざましく、驚かずにはいられない。
■精神力と技術、崖っぷちから2位へ
復帰3戦目となった東日本選手権ではショートプログラム(SP)で失敗して13位と大きく出遅れ、ソチ五輪へ崖っぷちとなった。いよいよギリギリまで追い詰められたなかで、フリーで攻めていったのだからすごかった。
最初のルッツジャンプは、ずっとそれまで失敗していて「試合で跳ぶことはできるのか」と思っていたが、本番ではバランスを崩して完全な形ではなかったけれど着氷した。コンビネーションジャンプにも挑戦して決めた。あの順位からフリーでは1位となり、総合2位となった。精神力の強さと技術がうまくマッチしたのだろう。もちろん全盛期の一番いい状態からしたら、まだ6割程度の出来だと思うけど、彼女の底力を見たような気がした。
安藤の出産から短期間での復帰については、周囲からも「無理ではないか」と不安視する声が多かった。実際に、ここまで状態を戻していく作業は並大抵の努力ではできなかったはずだ。
■筋肉衰え、体が動きについていかず
日本にいて練習すると、応援してくれる人もいたと思うけれど周囲から雑音が入ったり、取材攻勢があったりと、なかなか集中力を高めるのは難しかったと思う。肉体面では言うまでもなく、子供が生まれるまでの妊娠期間中や出産直後は普段行っているような動きや練習はできず、腹筋や足の筋肉などは当然衰える。
ジャンプを跳ぶときは、それぞれの選手のリズムやタイミングがあるが、それは毎日の積み重ねで体が覚えていくものだ。練習の期間が空くと、技術的なことは体が覚えているはずなのに、体が動きについていかないことはよくある。
安藤は競技を中断していた2年の間にアイスショーには出ていたが、それは試合とは全くの別物だ。ショーやエキシビションは、お客さんを楽しませるためにきれいに滑ることを優先する。自分ができる最高の演技を披露しなくても問題はない。
ところが試合では、今の日本選手のレベルは高くなっているし、自分が持つ全てのものを出さないと結果には結び付ついていかない。ショーは楽しむものであり、試合は勝ちにいくもの。プレッシャーは比べものにならない。
■ジャンプ跳べないと、精神的焦りも
また、それまで楽々とジャンプを跳べていたのに、跳べなくなってくると精神的にも焦りが出てくる。たとえば女子選手の場合、小学生や中学生のあるときまでは色々な動きができたのに、少女から大人の体へと成長していくと、体のバランスが変わったり、背が伸びて目線が高くなったりして、ジャンプが跳べなくなってくる。
それまでできていたものができなくなると、不安になってくるし、焦ってくる。さらに練習してもうまくいかないとなると、自信がなくなってしまい、競技をやめてしまうケースもけっこうある。
安藤は世界チャンピオンに2度輝いた素晴らしい実績があり、技術は体が覚えていたはずだ。そこから苦しみ、「体」そして「心」の双方で自分との内なる戦いがあったに違いない。
■才能あふれ、記録と記憶に残る選手
安藤は9歳からスケートを始めて、すぐに小学生のノービスで優勝、全日本ジュニアで3連覇し、世界ジュニアも制した。シニアでも全日本で優勝し、五輪には2度出場。世界チャンピオンにも2度輝いている。女子で4回転ジャンプも成功させた。世界的に常に注目され、トントン拍子で階段を駆け上がり、記録にも記憶にも残るような選手であった。
体を生かしたダイナミックな動きができ、定評のあるルッツに代表されるように切れ味のいいジャンプを跳ぶことができる。3回転―3回転の連続ジャンプ、5種類の3回転ジャンプも「跳んで当たり前」というくらいの感じで決める。表現力もほかの選手とはひと味違う大人の魅力があり、自分の滑りというものをちゃんと持っている。一言で言うなら才能だろう。
五輪代表3枠をかけた最終選考会の全日本選手権までおよそ1カ月半。代表切符を狙う安藤にとって、非常に厳しい戦いとなる。
待ち受ける日本のトップ3は浅田真央(中京大)、鈴木明子(邦和スポーツランド)、村上佳菜子(中京大)。3人は、安藤が休養している間も現役を続け、その間に浅田と鈴木は世界選手権でメダルを獲得し、村上も昨季の世界選手権で4位に入った。安藤のハンディは否めない。
■不利否めず、あっと言わせる演技必要
代表選考方法も安藤には不利だ。全日本で優勝すれば代表入りは自動的に決まるが、それは非常に難しいといわざるを得ない。表彰台に上がることが最低条件だが、2位、3位となった場合は、グランプリ(GP)シリーズの成績や世界ランキングなど、ほかの選手との比較で決まることになっている。
安藤はこの2シーズンの実績がない。代表の座に就くには、ほかの選手が崩れた末の2位、3位ではなく、自らの演技で周囲をあっと言わせるようにしないと難しいのが現実だ。ハードルは非常に高い。
ただ、彼女が本来の力を出せば、五輪の出場権を獲得する力はあると思う。気持ちの問題も大きいと思う。私はよく選手に「トップに立っても後ろを見てはいけない。後ろを見ると守りに入り、守りに入ると絶対に自分の演技ができなくなる」とアドバイスしている。
安藤は追われる立場から、今は追いかける立場、チャレンジャーとなった。東日本選手権のフリーで挽回したように、挑戦していく気持ちがないと、見ているものに訴えるものがない。攻めの姿勢は欠かせない。
■時間との戦い、体をいじめ抜けるか
また、私の現役時代を振り返っても、「自分ができることに集中しよう」とすると、試合中に変な欲が出ることもなくなり、かえって演技が安定するものだ。安藤も「自分が持っているものを出す」という気持ちで臨めばいいのではないか。
五輪代表の争いは、安藤にとっては時間との戦いだ。技術的には何の心配もないだろう。この1カ月半でどれだけ自分の体をいじめ抜き、どうコンディションをつくるかに勝負はかかっているといえる。フィギュアスケートは試合になると何が起こるかわからないし、彼女が持っているものを全て出すことができたら代表になれるだけの力はある。3度目の五輪は、可能性はゼロではない。
(日本スケート連盟名誉レフェリー)