勃発 貿易戦争(1)「ディール」世界を翻弄
「中国は開放の門をさらに大きく開く」
4月10日、中国・国家主席の習近平(シー・ジンピン、64)は同国最南端のリゾート地、海南省博鰲(ボーアオ)で、外資規制の緩和など市場開放策を表明してみせた。米政権が500億ドルもの中国製品に追加関税を課す制裁案を公表したのが3月下旬。習が公の場で発言するのはそれ以降で初めてだった。米大統領のドナルド・トランプ(71)はすぐさまツイッターで「習氏の温かい言葉に感謝する」と応じ、世界の金融市場には緊張緩和の期待が広がった。
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だが、水面下の交渉は全く様相が違う。「米側は中国製造2025の計画停止まで求めてきた。ハイテクを独占するつもりか。絶対に受け入れない」。中国商務省の交渉関係者は激しく憤る。
「中国製造2025」は、習政権がロボットや航空機分野などに資金を集中投下して、製造業を高度化する政策だ。米政権で通商政策を担当するピーター・ナバロ(68)は「中国は知的財産権の侵害で、人工知能(AI)や自動運転など未来の産業の支配をもくろんでいる」と目の敵にする。
ナバロは大学教授だった12年に「中国がもたらす死」と題する過激な自作映画を発表。感銘を受けたトランプが16年の大統領選で協力を求め、「中国製品に45%の関税を課す」といった過激公約につながった。今の対中強硬策は、11月の中間選挙をにらんだ公約実現という側面も持つ。
トランプは3月8日、非難の声を無視して、鉄鋼・アルミニウムの関税引き上げによる輸入制限措置に署名。世界を巻き込む貿易戦争の火蓋が切られた。波紋はすぐさま世界に広がった。
「鉄鋼に輸出自主規制を敷いてほしい」。米商務長官のウィルバー・ロス(80)は12日、ブラジル外相、アロイジオ・ヌネス(73)にこう告げた。ブラジルは今回の関税から一時的に適用除外されている。一方的に関税を引き上げ、それを武器に相手を脅しあげ、輸出の自主規制をのませる――。米通商代表部(USTR)代表のロバート・ライトハイザー(70)が1980年代の日米貿易摩擦時で用いた手法だ。
80年代との違いは関税引き上げも輸出自主規制の要求も世界貿易機関(WTO)ルールを逸脱した禁じ手であることだ。だが、現実にはトランプ流「ディール(取引)」に各国が屈しつつある。
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韓国は米国との自由貿易協定(FTA)再交渉を3カ月で妥結する代わりに鉄鋼輸出を直近3年の7割に抑える数量規制をのんだ。ホワイトハウス高官は「歴史的勝利」と歓喜したが、韓国の通商交渉本部長、金鉉宗(58)は「早期に交渉を終わらせる戦略だった」と苦渋の選択を振り返る。
北朝鮮情勢が緊迫するなか、米国は駐留米軍撤退というカードをちらつかせる。安保をもテーブルに乗せるのをいとわないトランプ流交渉術。日本や、ロシアとの緊張関係を抱える欧州も、是々非々では応じきれず、ディールの世界に絡め取られていく。表向きはWTO違反を手厳しく批判する欧州連合(EU)も、水面下では「追加関税から恒久的に除外するなら、新たな貿易交渉の準備をしてもいい」と米側に持ちかけている。
「禁じ手」がまかり通り、ルールよりディールが幅を利かせれば、戦後の自由貿易体制は足元から崩れかねない。
初夏のような強い日差しが差す米フロリダ。日本の首相、安倍晋三はトランプの別荘で17日から2日にわたって談判し、2国間の新通商協議を始めることを決めた。トランプは安倍が求めた鉄鋼・アルミの輸入制限解除を一蹴し、会談に参加したライトハイザーらは返す刀で日本にFTAを持ちかける。同盟国・日本もトランプが仕掛けるディールと無縁ではいられない。
「対日貿易赤字は690億ドルから1000億ドルだ」。トランプは記者会見で力説したが、対日赤字が年900億ドルを超えたことはない。ルールだけでなく事実までねじ曲げる「米国第一」の行動様式は極めて危うい。
日本は対米黒字を減らすため、米国から原油を大量輸入して東南アジアに転売する奇策まで検討する。米国も主力輸出品のエタノールに中国から報復関税を課され、ブラジルに「買ってくれ」と押し付け始めた。貿易戦争はまだ序盤だが、世界貿易は早くもゆがみ始めている。
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米中の対立を軸に、貿易戦争の懸念がにわかに膨らんでいる。トランプのディールに世界は翻弄される。
(敬称略)
[日本経済新聞朝刊2018年4月23日付]