電子書籍の「F1」狙う村上龍氏 音・映像でワクワク感
作家の村上龍氏が電子書籍分野で突出した動きを見せている。自ら専門会社を経営し、電子化した作品は10を超す。9万3千の会員を持つメールマガジンを通じ、小説の無料配信にも乗り出した。先駆者的な存在の村上氏。何が有名作家を駆り立てるのか。本人に話を聞いた。
――長編小説「歌うクジラ」を電子書籍にして3年以上がたちます。
「合計4万2千ダウンロードと『歌うクジラ』は成功だった。その後、既刊本を電子化しても売り上げが伸びず悩んだ時期もあったが、興味深い発見をした。それは『(紙の)単行本はなかなかいい』ということ。手にとったときの質感、たたずまいは捨てがたい。電子書籍というものを知って改めてそう感じた」
「例えば、昔のレコードは大きくてジャケットも存在感があった。しかしアイチューンズで音楽をダウンロードすると(ジャケットは)切手くらいの大きさで、ライナーノーツ(解説文)もない。デジタルは効率的ではあるが、貴重なたたずまいが失われてしまう」
「電子書籍も単にテキスト(文章)をデジタル化するだけなら、たたずまいがなくなる。そうではなく、本の中身を象徴するようなアニメーション、表紙や目次の見せ方の工夫などで、電子でも紙の本の魅力を別の形で表現できるのではないか、と思った。それが僕の得たアプローチだ」
――テキストに音や映像を組み合わせるリッチコンテンツ化には手間ひまがかかりますね。
「すごく面白い。メルマガで配信する小説『MISSING 失われているもの』は、テキストと画像(主に村上氏が撮った写真)が連携する。画像があるからその分は描写しなくてすむ、といったことを考えながらやっている」
――40年近い作家生活で最も緊張する作品と聞きますが。
「これほどダイレクトに作家から読者に作品が届くしくみはない。新聞や週刊誌の連載でも書き下ろしでも、ふつうは編集や校閲、印刷など(作家と読者の)間に人も作業もいっぱい入る。メルマガなら全部すっ飛ばしだ。きのう書いたものをきょう配信するといったスピード感がある」
――電子書籍会社「G2010」の経営はどうですか。
「社員を減らすなど固定費を圧縮しているが、アップルのiBooks(での作品配信)だけでは黒字にならないかもしれない。ビジネス継続のため、企業と協力して電子雑誌を出すことなどを企画中だ。売り上げを確保しながら僕の作品を電子化していく」
――他の作家、出版社の反応はどのような感じですか。
「もともと作家は表現媒体などにあまり興味を示さない。その点、僕は変わっている。出版社とは配信で競合するが、『村上龍だからしょうがないな』と理解してもらえていると思う」
――紙と電子の住み分けなど、先行きをどう見ますか。
「コンテンツによって紙向き、電子向きがある。例えば、長編の『半島を出よ』をメルマガ配信しても読むのに骨が折れる。月刊誌に連載し、それを紙の書籍として出版するというオーソドックスな方法も捨てないし、『MISSING』のような試みも続ける」
「F1カーは公道を走れず、温暖化などの影響もあって『そんな取り組みは無意味』という声もある。だが、その開発で得たものは一般車にも受け継がれ、役に立つ。電子書籍も同じだ。売り上げなどに関係なく、ワクワクしながら試行錯誤すると、見えてくるものがある。それが今後の(出版の)モデルになるかもしれない」
市場の拡大へ「破壊的」な試み不可欠
「スティーブ・ジョブズ氏がiPadをプレゼンする映像を見て運命的なものを感じた」。2010年、村上氏は「歌うクジラ」をアップル端末用に電子化すると決めたいきさつをそう語った。あの時と同じ都内のホテルで取材に応じた村上氏の電子書籍への思い入れは一段と強固になっていた。
ただ、電子書籍の市場成長は爆発的とはいえず、縮む出版産業の救世主にはなっていない。配信サービスや端末は増えた。企業間の競争は激しいが、「器」がいくら充実しても、そこに盛るコンテンツという「おいしい料理」がなければ顧客はついてこない。
広告で運営する村上氏のメルマガ小説は、出版社や印刷会社ぬきで読者と直結する。同氏も指摘する通り、作家みんなが追随すれば、業界構造への影響は大きい。しかし、需要創出のヒントはそういう「破壊的」な試みにこそ潜んでいる。「電子書籍のF1」を生み出せるのか。村上氏のような野心的作家をもっと見たい。(編集委員 村山恵一)
[日経産業新聞2014年2月14日付]