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劇的だった椎名裁定

「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(6)

政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕

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1974年(昭和49年)7月の参議院選挙で自民党は空前の金権選挙、企業ぐるみ選挙を展開したが、結果は不振だった。三木武夫副総理と福田赳夫蔵相は田中角栄首相の政治手法を批判して相次いで辞任し、田中政権は窮地に陥った。椎名悦三郎副総裁は田中首相に「党改革に取り組むいい機会だ」と進言した。この結果、8月1日、自民党に椎名を会長とする「党基本問題及び運営に関する調査会」(椎名調査会)が設置され、各派閥の有力者が顔をそろえて改革論議が始まった。

田中首相、「椎名暫定政権」を望む

同年10月、雑誌「文芸春秋」が田中首相の金脈問題の特集記事を掲載した。田中の独特の錬金術が暴かれ、田中事務所を取り仕切る佐藤昭の存在も暴露された。その記事で田中首相はますます精神的に追い詰められた。田中は10月28日からの豪州、ニュージーランド訪問を控え、25日に前尾繁三郎、河野謙三衆参両院議長に外遊あいさつをした。田中と河野は昵懇の仲であり、田中は河野に弱気になっている心境を吐露した。「田中首相が辞意か」との観測が広まった。

10月26日早朝、椎名は目白の私邸に田中を訪ねた。田中は重大事を打ち明けた。「このまま国会を乗り切るのは難しい。あなたに政権を預かってもらいたい」。椎名は「私はその任じゃない。ご覧の通り健康な体でもない」と断った。椎名は76歳で体力の衰えを感じていた。田中は「この際、曲げて頼みます」と頭を下げ、椎名は「まあ、ゆっくり考えさせてくれ」と引き取って田中邸を辞去した。田中の側近でご意見番の木村武雄が椎名の後を追いかけて「来年1月の党大会で総裁追認に持っていく。ぜひ引き受けてくれ」と迫った。

椎名暫定政権説は政界にじわじわ広まった。これを聞きつけた三木武夫と中曽根康弘は相次いで椎名に「あなたがやるなら、及ばずながら何でもお手伝いする」との意向を伝えてきた。保利茂は金丸信、田村元の仲介で11月4日、静岡県須走の別荘に椎名を訪ねて会談した。椎名と保利はそれまで疎遠だったが、保利は「ここは副総裁のご奮発をお願いしたい。このままじゃ、田中も辞めるに辞められんでしょう。鳩山さんだってあの体でモスクワに行き、日ソ国交正常化をしてきたじゃないですか」と椎名の奮起を促した。椎名は言葉を濁したが、田中外遊後の内閣改造では椎名が副総理として入閣し、保利も椎名を補佐して入閣することで意見が一致した。

11月8日、外遊から帰国した田中首相は内閣改造に着手した。フォード米大統領の訪日を迎える体制を強化し、椎名暫定政権への布石を打つ狙いがあった。椎名は田中首相と会談し、党改革の観点から、また椎名暫定も視野に入れて幹事長には中間派(船田派)の福田一、総務会長には田中派の西村英一、政調会長には大平派・前尾系の小山長規という人事案を提案した。田中は田中派内の突き上げもあって側近の二階堂進の幹事長起用にこだわり、総務会長は大平派の鈴木善幸、政調会長は中曽根派の山中貞則を起用した。

椎名は3役案が受け入れられなかったので、田中が求めた副総理入閣を謝絶した。保利は田中との会談で「話が違うじゃないか」と詰め寄り、保利の調整で椎名も「君が入閣して補佐してくれるなら」と折り合い、「椎名副総理、保利法相」がいったん固まった。しかし、土壇場で大平蔵相が椎名副総理案に猛反対した。総裁公選で次期総裁をめざす大平は椎名暫定政権構想に激しく抵抗した。結局、椎名副総理入閣は見送られ、田中の内閣改造は失敗して政権はますます弱体化した。

11月15日、田中首相は保利茂と会談し、内閣改造の不手際をわびて「後は椎名さんにやってもらうしかない。そのため、もう一度、あんたの力を借りたい」と協力を求めた。田中は中曽根通産相とも会って「椎名さんに後を預かってもらうのが最上だと思っている」との意向を伝えた。中曽根は「その話は漏れ聞いてはいたが、実は私も賛成です」と答えた。中曽根は中間派を結集して話し合いによる椎名暫定政権実現に向けて動き始めた。椎名の周辺はにわかに慌ただしくなった。

田中首相はフォード米大統領離日後の11月26日、正式に退陣を表明した。これに先だって田中は22日に椎名に辞任の意向を伝え、辞任後の事態収拾を託した。総裁公選を実施すれば、党分裂の恐れもあったから椎名は話し合い決着をめざした。札束が乱れ飛ぶ派閥中心の総裁選のあり方に椎名はかねて「賭け金ばかりが高い草競馬」と批判的だった。問題は誰が後継を引き受けるかである。椎名は自分が引き受けるべきかどうかで迷いに迷った。健康には最後まで自信が持てなかった。椎名は「3賢人の会」の前尾繁三郎衆議院議長と灘尾弘吉を相談相手にして後継選考を進めた。

椎名は前尾に政権を引き受けるよう勧めた。前尾はこのころ咽頭ガンであることがわかり、近々手術の予定だったので健康を理由に断った。灘尾にも後継を勧めたが、灘尾は「自分はその器ではない。福田赳夫君が最適任だ」ときっぱり断った。前尾と灘尾に逃げられて椎名の頭の中に残ったのは保利茂である。田中に近い金丸信と田村元が熱心に保利擁立に動いていた。保利は一貫して椎名に協力する姿勢も見せていた。

椎名、前尾、灘尾の3人は田中首相が金権政治、金脈問題で批判されて退陣したことを踏まえ、後継総裁は党改革、政界浄化に取り組む人物がふさわしいとの考えで一致した。椎名は前尾に「三木はどうか」と相談した。三木武夫は池田内閣時代に前尾幹事長の下で党組織調査会長として党近代化、派閥解消に熱心に取り組んだ実績があった。前尾は三木に賛成した。灘尾も同様の判断だった。椎名は「三木か保利か」の判断を固めつつあった。

「行司がまわしを締めた」

11月29日、椎名副総裁は党本部で中曽根康弘、三木武夫、大平正芳、福田赳夫の4実力者と個別に順次会談した。中曽根と三木は椎名調整に委ねる考えを示した。福田は福田支持が多い党顧問会議の意見をよく聞くよう注文したが、基本的には椎名調整を尊重する姿勢を見せた。大平だけは椎名調整に反対し、総裁公選によって本格政権を作るべきだと主張した。

大平「後継者の選考を副総裁はどうお考えですか」

椎名「今は重大な局面だ。だから来年夏ごろまで暫定的な政権を作り、その間に党の体調を整えて、その後に本格的な政権をつくった方がよいのではないか」

大平「ということは、副総裁の立場上、椎名さんということも考えられるが」

椎名「体が弱いから、こっちから積極的にやる気はない。が、みんなから是非と言われれば逃げるわけにもいくまい」

大平「お話は理解できぬこともないが、重大な局面だからこそ、半年もの間、経過的な政権をつくるのは適当ではない。賛成できない」

椎名・大平会談の後、大平派から「行司が回しを締めた」という話が一斉に広まった。調整役のはずの椎名が政権に色気を見せたことを揶揄したもので、椎名調整をつぶすのが狙いだった。大平派は総裁公選に持ち込んで田中派の支持を得て政権をとることをもくろんでいた。大平の反対で椎名は自ら政権を引き受けることを断念し、調整役に徹する決意を固めた。椎名の心境は「後継は三木」に大きく傾いた。

11月30日、椎名は午前10時から党本部で福田、大平、三木、中曽根の4実力者と一堂に会し、夕方まで協議を続けた。協議の冒頭、椎名は「後継総裁の候補はここにいる4人のうちしかいない」とあいさつし、司会役に中曽根を指名した。中曽根は「副総裁、4人だけというのは僭越です。候補者は他にもいる」と異議を挟んだ。中曽根はまだ「椎名暫定が本命」と思い込んでいた。椎名は中曽根の異議を黙殺して議事進行を促した。

この日の協議では、誰が後継総裁になっても人事は挙党体制で行く、幹事長、経理局長、財務委員長は総裁派閥から出さないことで意見が一致した。しかし、総裁選出方法では福田、三木、中曽根が話し合い選出を主張し、大平は総裁公選実施を譲らず、決着がつかなかった。椎名は「今夜もう一晩考えて、私なりの結論を出したい。明朝もう一度ご足労願いたい」と発言して、この日の協議を打ち切った。大平派は話し合い決裂、総裁公選突入必至と判断した。二階堂幹事長、鈴木総務会長は総裁選実施の準備に入った。

12月1日朝、椎名副総裁が自民党本部に入ると二階堂幹事長があわてて副総裁室に駆け込んできた。「副総裁、きょうの段取りはどうなります」「裁定案を出すよ。三木だ」「ちょっと待ってください。いま党3役を集めますから」。椎名は二階堂幹事長にかまわず、福田、大平、三木、中曽根が待つ総裁室に入り、背広のポケットから便せんを取り出して裁定文を読み上げた。

「神に祈るような気持ち」で三木指名

「私は国家、国民のために神に祈るような気持ちで考え抜きました。新総裁は清廉なることはもちろん、党の体質改善、近代化に取り組む人でなければなりません。国民はわが党が派閥抗争をやめ、近代政党への脱皮について研鑽と努力をおこたらざる情熱を持つ人を待望していると確信します。このような認識から、私は新総裁にはこの際、政界の長老である三木武夫君が最も適任であると確信し、ここにご推挙申し上げます」。

福田が真っ先に口を開いた。「結構です。私に異存はない」。中曽根が続いて発言した。「私も賛成です」。指名された三木は顔を上気させて「全く青天のへきれきである。(前回総裁選2位の)福田君を差し置いて僭越の気がするが、皆さんの考えに従いたい」。大平は憮然とした表情で「同志と相談して返事をしたい」と述べて席を立った。三木、福田、中曽根は前日夜に椎名サイドから「三木を指名する」と知らされていた。知らなかったのは大平だけだった。

大平は盟友の田中のもとに駆け込んだ。田中はこの日、人目を避けるように埼玉県の久爾カントリークラブでゴルフをしていた。大平の連絡を受けてゴルフを中断して大急ぎで目白の私邸に戻った。「今回はやられたな。まあ、仕方ないさ」。田中は大平のなだめ役になった。田中には前日夜、木村武雄を通じて椎名から「三木でいく」と連絡があった。椎名に収拾を頼んだ以上、田中は文句を言う立場になかった。田中の本音は福田以外なら誰でもよかった。

1974年(昭和49年)7月16日
田中首相と会談、三木副総理、福田蔵相辞任後の政局収拾協議、党改革を進言
同年8月1日
自民党基本問題・運営調査会の会長となり、初会合
同年10月26日
田中首相と会談、椎名暫定首班の打診受ける
同年11月4日
静岡県須走の別荘で保利茂と会談
同年11月9日
田中首相に内閣改造で進言
同年11月15日
前尾繁三郎、灘尾弘吉と3賢人の会
同年11月22日
田中首相から退陣の意向が伝えられ、政局収拾を委ねられる
同年11月29日
自民党本部で福田、大平、三木、中曽根の実力者と個別に会談
同年11月30日
自民党本部で4実力者と一堂に会談
同年12月1日
自民党総裁に三木武夫を指名

保守傍流の三木を指名した椎名裁定は世間の意表を突き、新鮮な驚きを与えた。世論は「金権・田中」に代わる「クリーン三木」の登場に大きな拍手を送った。裁定を下した椎名の鮮やかな手腕にも称賛の声が相次いだ。こうして椎名は危機に陥った自民党を見事に救い出した。三木は12月4日の自民党両院議員総会で正式に総裁に選出された。5日早朝、三木総裁は広尾の椎名邸を訪れ「大変なことを引き受けた。引き続き全面的に助けていただきたい」と副総裁留任を要請した。

その際、三木は後藤新平を主人公にした新聞小説の挿絵の原画十数枚を感謝のしるしとして椎名に贈った。晩年の後藤新平が政界浄化運動に取り組んだ故事を踏まえ、党改革、政界浄化に取り組む三木の決意を椎名に示したもので、いかにも三木らしい考え抜いた贈り物であった。三木は12月9日に国会で首相に指名された。

幹事長には中曽根、総務会長には無派閥の灘尾、政調会長は福田派の松野頼三が起用され、田中派は党3役から外れた。福田が副総理、大平が蔵相として入閣した。椎名は「三木君にあまり人事で注文をつけたりしたくないんだが、外務だけはしっかりしておかんとね」と考え、朝鮮半島の緊迫化を見据えて外相には元駐米大使の竹内竜次を強く推した。三木もこれを受け入れ椎名と一緒に口説いたが、竹内は入閣を断った。外相には前尾に近い大平派の宮沢喜一が決まり、文相には三木のブレーンである東工大教授・朝日新聞論説委員の永井道雄(雄弁家で知られた戦前の大物政治家・永井柳太郎の息子)が起用された。=敬称略

(続く)

 主な参考文献
 「記録椎名悦三郎(上下巻)」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 椎名悦三郎著「私の履歴書」(私の履歴書第41集収載=70年日本経済新聞社)
 「現代史を創る人びと4(椎名悦三郎インタビュー収載)」(72年毎日新聞社)
 「椎名悦三郎写真集」(82年椎名悦三郎追悼録刊行会)
 藤田義郎著「椎名裁定」(79年サンケイ出版)

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