美術と手を携えた座頭市 大映京都撮影所の遺産(3)
軌跡
大映京都撮影所跡に近い大映通り商店街は、映画を街づくりに活用する。電灯にカメラの飾りを付けたり、特撮時代劇「大魔神」の像を展示したり。市川雷蔵、そして大映京都のもう1人のスター、勝新太郎のパネルがある博物館も開いた。
勝新太郎といえば、目が不自由ながら仕込みづえを持つ居合切りの達人、座頭市の役が有名だ。勝は1954年、大映に入社し、同社の看板女優だった京マチ子、山本富士子、若尾文子らと共演したが、いまひとつ人気が出なかった。
しかし「不知火検校(けんぎょう)」(60年)で評価され、「悪名」(61年)、「座頭市物語」(62年)、「兵隊やくざ」(65年)などのヒット作を連発した。
時代劇「不知火検校」は目が不自由な指圧師が盗み、詐欺、暴行、殺人と悪徳の限りを尽くし、検校という高い地位に登り詰める。勝は愛嬌(あいきょう)を振りまいて人をだまし、最後は死に追いやる悪漢を好演。後の座頭市の役につながる。宇野信夫の原作を犬塚稔が脚色し、森一生が監督した。
座頭市は子母沢寛の作品を基に三隅研次監督や犬塚、勝らが造形したといわれる。森監督による第2作「続・座頭市物語」(62年)は大勢の敵に囲まれた市がバッタバッタと斬りまくり、アクション時代劇の醍醐味が伝わる。
「刀で柱を切る場面で、タイミング良く柱を切り離せるように仕掛けた」。大映出身の美術の大ベテラン、馬場(ばんば)正男氏は勝と話し合い、仕掛けをこしらえた日々を楽しそうに思い出す。
座頭市の刀さばきはアニメ「ルパン三世」に登場する居合の達人、石川五エ門のモデルになったという説もある。切れないはずの物まで切ってしまうシーンもまた、大映京都が源流なのかもしれない。