劇作家・福島真也、シューマンの「狂気」に魅せられて
音楽劇のニューウェーブ、「東京イボンヌ」を主宰
「俺の兄貴はブラームス」。わかったようでわからない題名、ゲストのいしだ壱成はじめ個性的なキャストと藤原歌劇団の歌手、ダンサー、アマチュアオーケストラが同じ舞台に集まって動く不可解さにひかれ、劇団「東京イボンヌ」の第9回公演(東京・品川区のスクエア荏原ひらつかホール)に足を運んだ。2カ月以上前のことである。
今までにない音楽劇の方法論自体、期待した以上の発見だった。ただ、劇団を主宰して脚本、演出も手がける福島真也(38)のこだわりがブラームスよりも、その才能を世に送り出した先輩作曲家のシューマンに激しく集中する感触に覚えた妙な違和感は、今日に至るまでずうっと尾を引いている。
確かに見せかけの主人公は後の大作曲家、ヨハネス・ブラームス(モリタモリオ)の影に隠れた存在で才能にも恵まれなかった弟のフリッツ(いしだ)だが、ドラマの展開では「悪役商会」の俳優で東京イボンヌの座長、吉川拳生の演じるロベルト・シューマンが強烈な存在感を放った。中でも兄弟がシューマン家に何とか入りこみ、ヨハネスの楽譜を見せた途端、シューマンが妻クララ(川添美和)らに「天才の出現」を告げる場面は感動的だった。誰もが若いころ、年長者から一度は祝福され、羽ばたく瞬間を見事に活写している。
12歳で受けたシューマンの衝撃
次第にひかれ合うヨハネスとクララの一方で、ロベルトの心の病は悪化の一途をたどる。史実とファンタジー、音楽と芝居がごちゃ混ぜになりながら進むうち、もしかして作者の福島が共感しているのは、シューマンの狂気そのものなのではないかと思えてきた。
真相は福島とじかに会い、ただすしかない。東京の西八王子に住む福島は週に3度か4度、高尾山に登って想を練るという。インタビューの場所にも当然、高尾山を指定した。
山頂でまず、音楽との出会いを聞く。「現在、ベルギー在住の姉はピアニスト。クラシック音楽の好きな父の影響で姉がピアノを習い、自分も4歳から始めた。練習は嫌いだったが、先生に『耳だけはいい』と言われた」。シューマンとの出会いは、いつだったのか? 「12歳の時、姉が階下で練習している作品に激しい衝撃を受け、ワーッと階段を駆け下りて『誰の何の曲?』と聞いたら、シューマンの『クライスレリアーナ』だった」。以来「シューマンおたく」の道を歩んでいる。片時も手放さない愛読書、若林健吉著の「シューマン 愛と苦悩の生涯」(ふみくら書房)には無数のマーキング、書き込みがある。
だが学生時代は「演劇や音楽で身を立てることを全く考えていなかった」という。情報産業の営業マン、テレビ制作会社、北海道の牧場……と満たされない思いで職業を転々とするうち、電撃的に行き着いたのがシナリオライターだった。専門学校に通って脚本の基礎を学び、いくつかのコンクールに通った後、2007年に自分の劇団を立ち上げた。「脚本を書いていると自然に音楽が聞こえ、演出のアイデアまで浮かんでしまう」のを逆手にとり、練り上げてきたのが東京イボンヌのスタイルだ。シューマンは10年の第4回公演の「シューマンに関すること」で初めて本格的に向き合って以後、あたかも通奏低音のように福島作品の中に現れては消える。
多くのマニアと同じく、福島もシューマンの死因やクララの父ヴィークとの確執、和解の深淵を追い続ける。最近の研究では、若いころ梅毒に感染し、当時の代表的処方である水銀治療を受けたことが運動機能障害を引き起こす一方、死滅せずに潜伏した菌が脳梅毒に至り、精神に損傷を受けたとの説が有力である。ヴィークがシューマンの皮膚の状態などから梅毒感染を察知し、娘から引き離そうと努めたと考えれば、結婚への執拗な妨害にも納得がいく。福島はさらにさかのぼり「16歳で姉の自殺、父の死を経験したことが、シューマンの性格形成の分岐点だったのではないか」と推測する。それでも二人は結婚し、ロベルトは精神病院で亡くなる直前、クララにきちんと感謝の言葉を述べた。
シューマン最後の作品、ピアノ独奏のための「主題と変奏」(通称「天使の主題による変奏曲」)を聴いたことがあるだろうか? 1854年2月17日の夜、幻覚や幻聴に悩まされていたシューマンが「天使の合唱」として聴いた(と思った)賛美歌風の主題と、5つの変奏からなる。「黄泉(よみ)の国」からの響きを聴いているかの錯覚にも陥る半面、どこまでも純粋で美しい世界へのあこがれに満ち、胸をしめ付けられる思いにかられる作品だ。2月27日に楽譜を仕上げたシューマンはそのままライン川へ向かい、身を投げた。一命はとりとめたが快方には至らず、2年後の7月19日、46歳で亡くなっている。
クララはこの変奏曲を「不名誉」と考えて演奏や出版を禁じ、第2楽章の主題が似ている「ヴァイオリン協奏曲」まで封印した。「主題と変奏」が出版されたのはクララの死後43年を経た1939年、「協奏曲」の世界初演も1937年までずれこんだ。今ではともにシューマンの「白鳥の歌」として、多くの聴き手を獲得している。
「主題と変奏」の最新盤はドイツのピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の名手、アンドレアス・シュタイアーがフランスのピアノの名器「エラール」の1837年モデルで弾いたもの。「ヴァイオリン協奏曲」の最新盤は、3曲の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を若いころに録音(ドイツCPOレーベル)して以来、シューマンを得意としているイザベル・ファウストがパブロ・エラス・カサド指揮フライブルク・バロック・オーケストラと共演したもの。ともに「ハルモニア・ムンディ」レーベルの制作で、キングインターナショナルが輸入販売している。改めて、シューマンが「最後に聴いた響き」を追体験するのにふさわしい、心のこもった名演奏だ。
ところで東京イボンヌは今年12月、記念すべき第10回公演でついに、天才作曲家「モーツァルト」に挑む。福島は目下、アマデウスの膨大な作品と格闘し、出演者のオーディションやワークショップに多忙な日々を送っている。だが「12歳の衝撃」が消える瞬間はなく、今後も折りに触れてシューマンの狂気の世界へ戻り、新たな創作の糧とするはずだ。
(電子編集部 池田卓夫)