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太田雄貴「東京五輪、国内みんなで大きなお祭りに」

招致決定から1年、立役者に聞く

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「9月7日」という日を生涯忘れられないアスリートがいる。フェンシングの太田雄貴(28)は1年前の今日、ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会でプレゼンターとして登壇し、2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致成功に貢献した。招致活動の舞台裏、太田の目に映ったこの1年の変化、そして6年後にやってくる祭典への思いなどを聞いた。

総会前はすごく不安、みんなイライラ

太田はいま、今月19日に開幕が迫るアジア大会(韓国・仁川)に向けた最終調整の真っ最中。招致成功から約1カ月後、現役続行を宣言してフェンシング中心の生活に戻った。「あの日」は懐かしい記憶であり、色鮮やかによみがえる昨日の出来事でもある。

「もう1年ですか。あっという間ですね。(東京五輪本番までの)残り6年もあっという間なんだろうなと思う。あの日のプレゼンは練習時間を1時間もらえたら、もう一回完璧にやれる自信がある。それくらい必死に練習したから」

「ブエノスアイレスに入る直前から、福島第1原発の汚染水漏れを巡る報道が海外でも増えていた。マドリードが優位に立っている状況を何となく感じていたが、英BBCや米CNNを見ても(どこが最有力かという)はっきりしたことは報じていない。みんな、すごく不安でイライラしていた。試合前のような感覚。総会前日に本番会場で行った最終リハーサルも細かいミスが多くて出来が悪かった」

プレゼン、最高のチームで大きな財産

「でも、本番はみんなあの通り。滝川(クリステル)さんはテレビの生放送をずっとやってきたプロだし、(パラリンピアンの佐藤)真海さんと僕は現役アスリート。終わってみれば、本番に強いチームだったなと」

負けたら成田空港で卵をぶつけられても仕方がない、競技を続けることもできなくなるかもしれない、と思うくらい重圧と覚悟を背負ってブエノスアイレスに飛んだという。それだけに、IOCのジャック・ロゲ会長(当時)の「トーキョー」を聞いた瞬間、興奮と解放感のあまり号泣した。

「いまだにあの泣き顔のことを友人に冷やかされる。あの日にあの場所でメンバーと一緒の時間を過ごせたことは、僕にとって大きな財産。競技以外では28年間生きてきた中で一番幸せな瞬間だった、とうそ偽りなく思う。最高のチームだった。プレゼンの指導をしてくれた英国人のマーティン先生が今年1月に来日した際はみんなで集まった。猪瀬(直樹)さんが来られなかったのは残念だったけれど」

招致決定に感謝の言葉と厳しい意見

招致決定から1年、大会組織委員会が立ち上がり、20年に向けて本格的な準備が動き出している。新設会場の建設中止など大会計画の見直しが進み、メーン会場となる新国立競技場の建設に反対の声も消えていない。アスリート代表としてコンパクトな五輪をIOC委員に訴え、開催を"勝ち取った"立場の太田はどう見ているのか。

「僕も帰国してから『太田君、本当にありがとう』と言われることもあれば、直接厳しい意見を言われたこともあった。(あれだけの大イベントだから)開催することで生じる問題があるのはわかっている。建築資材の高騰や労働者不足などの問題があって、東日本大震災の被災地復興にも影響が出ているとか。でも、五輪が来なければ来なかったで問題はあったと思う。アベノミクスを加速させる起爆剤が他にあるだろうか」

「東京五輪をネガティブに考えている人もいるだろうし、みんながみんな五輪に賛成じゃないのはわかっている。そのうえで、でも、やっぱり五輪が来ることになって喜んだり、もう一度頑張ろうと思ったりした人が多いのでないか。僕自身は何度、去年の9月7日になっても、最高のプレゼンをして勝ちにいくと思う」

会場計画、無理な部分あったかも

「会場見直しについては、招致ファイルの段階から多少、無理な部分もあったかもしれない。それは仕方がないことかなと思う。(準備状況が懸念されている次回開催地の)リオデジャネイロを見てもわかるけれど、計画変更はどこの国でもあること。でも、日本はいろいろな国際大会の開催経験も豊富だし、なんだかんだ言ってもうまくやりますよ」

フェンシングにとどまらず、スポーツ界で交友関係の広い太田。当然、「東京五輪」が話題に上がる。

「僕が一番お願いしたいのは、若い人たちにチャンスが与えられる五輪になってほしいということ。今の主役と6年後の主役は全然違う。スポーツ界でいえば今から6年前に(競泳エースの)萩野公介君もいなかったでしょ。北島(康介)先輩が一番輝いていた時期です。6年もあればスポットライトを浴びる人もおのずと変わる」

アスリート使って大会機運盛り上げを

「それはアスリートだけでなく、大会を支えるテクノロジーであったり演出方法などにも当てはまるのではないか。もちろん、何事も経験は大事だけれど、みんなで五輪が日本に来て良かったよねと思える状態にするには、すごく開かれた機会である必要がある。日本はただでさえ、IOCから若い世代が少ないと見られている。ジェンダーバランスもそう。大会組織委員会も若返りを進める勇気を持ってほしい」

「もう一つは、大会機運の盛り上げなどに僕みたいにアスリートをどんどん使ってほしい。いま20代半ばから後半の現役バリバリの選手は6年後はちょうど進退の境目になるが、みんな何かしら東京五輪に関わりたいと思っている。話していると蚊帳の外に置かれていると寂しい思いをしている金メダリストもいる。もっと参加できる場所、フォーラムのようなものがあっていいのではないか。何がメダルに直結し、何がスポーツの普及につながり、何がレガシーとして残るのか。一部の人たちで五輪を囲い込まずに、どんどん話す機会が増えれば」

五輪は日本のすばらしさ発信の好機

18歳で04年アテネ五輪に出場した太田は、競技者として世界中を回ってきた。この1年ほどはプライベートで日本全国を旅する時間を大切にしている。こうした機会を通じて世界の中における日本や東京について考えることも増えたという。

「東京って世界的な大都市かもしれないけれど、実は国際都市ではない。僕らのナショナルチームのコーチであるオレグさん(ウクライナ出身)は『日本は住みにくいよ。レストランに入っても、英語のメニュー一つない』ってよく言っている。確かに標識をとってもそう。東京は全然ドメスティック」

「今は金融もアジアの中心は香港やシンガポールに移っているし、ハブ空港も仁川とかになっている。東京が世界に向けて発信できるものって案外多くない。その中であるとすれば、食だとか精神的・文化的価値だと思っている。東京五輪は、こうした日本のすばらしいものを世界へ発信するチャンスになる」

若い人は外国に出て世界を見るべし

「最近全国を食べ歩いていて、面白いことがある。滋賀県のお店に入って大将と話していたら、お客さんは大阪や京都など他県の人がほとんどだと言われた。先日、銀座でおすし屋さんに入ったら客の半分が外国の人だった。聞いたら、ロサンゼルスから2カ月前に予約を取って来たと」

「結局、僕らがまだまだ気がついていない日本の良さがあるのではないかということ。それは外から見ないと気がつかないものでもある。郷土の文化や料理、芸術に関心が向かない。当たり前になって気がつかないともいえる。だから、若い人はどんどん外国に出て世界を見た方がいい」

招致活動に携わったことで視野も興味の対象も広がった。現役選手として2年後のリオ五輪を目指す傍ら、国際フェンシング連盟の選手委員長選挙に立候補して当選を果たした。将来はIOC委員も目指したいという。

「考え始めたのは12年のロンドン五輪が終わったあとくらい。他の競技でもあるが、ルール改正や審判の判定を巡る問題が起きるたびに日本の発言力の弱さが課題だと感じていた」

選手委員長当選、IOC委員に挑戦も

「それでも、最初は軽い気持ちだった。国際フェンシング連盟の選手委員選挙に出たのは東京五輪が決まる前の8月。それがトップ当選し、その後に東京五輪開催も決まる中で、この分野でも頑張りたいという気持ちが強まった。昨年12月には選手委員会の中でトップを決める委員長選挙があって当選した。理事会での議決権も持つので責任重大。実際、実務はかなり苦戦している。メールや書類も全部英語で大量。スイス・ローザンヌで2日間、選手委員だけで会議を行った後に理事会に諮ったりとか。でも大変だからこそ、やる価値がある。ゆくゆくはIOC委員にも挑戦したい」

「招致活動に携わった理由でもあるのだが、いつも日本のフェンシングの未来を考えている。フェンシングはマイナー競技。競技だけ頑張っていてもサッカーや野球に勝てない。競技以外の部分で英語を話せたり、スポーツ外交の世界で活躍できたりすれば、親御さんに『フェンシング選手ってこんなこともできるの?』って思ってもらえるのではないかと。太田みたいにしたいと思ってくれたらうれしい」

若い世代にチャンス与える五輪に

自分が必死で取り組んで勝ち取った東京五輪だからこそ、ぜひ成功させたい気持ちが強い。そのためには一人ひとりが当事者意識を持つことだと考えている。

「東京を一歩出ると、まだヨソ様の話という感覚の人が多い。でも、たまたま東京にインフラがあるから東京であるだけで、日本のオリンピック。僕も滋賀県出身だけど、東京の人だって生まれも育ちも東京なんて人ばかりじゃない。それならば、みんなで大きなお祭りやろうよという感覚の方が楽しい。そして改めて、若い世代にチャンスをあげる五輪にしてほしい」

「6年後、僕は34歳。現役を続けているかどうかわからないけれど、団体戦の4人目で出場できたらベストですね。それだけ下の世代の選手も育っていることになるので。問題はフェンシングは五輪で10種目しかないこと。団体戦はエペ、サーブル、フルーレの3種目から2種目ずつ採用していて、ロンドンは運良く日本が得意なフルーレが採用された(銀メダル獲得)。東京五輪でも採用されるように、選手委員長としても頑張らないといけないですね」

(聞き手は山口大介)

 太田雄貴(おおた・ゆうき) 1985年11月25日、大津市出身。父の指導のもと、小学3年からフェンシングに取り組む。京都・平安高(現龍谷大平安)2年で全日本選手権を制し、高校総体は史上初の3連覇達成。初出場だった2004年アテネ五輪は9位に入り、06年ドーハアジア大会で日本勢28年ぶりの金メダル獲得。08年北京五輪で日本フェンシング史上初の五輪メダルとなる銀メダルに輝いた。12年ロンドン五輪でも男子団体で銀メダルを獲得した。森永製菓所属。

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