充実の不惑 阪神・藤川、クローザーに返り咲き
投手の分業制が確立したプロ野球では、救援投手が勝負のカギを握るケースが多い。なかでも試合を締めくくるクローザーの責任は重い。阪神ではその役を経験豊かな藤川球児(39)が担う。優勝争いに好クローザーあり、を見せてくれるか。
昨季までクローザーだったドリスが、大リーグへ復帰した。4年で96セーブを挙げた剛腕の退団は痛いが、藤川で穴埋めできると実証済みだ。昨年7月下旬、不調のドリスが2軍落ちしたときに代役で成果を挙げた。8月にドリスが戦列復帰しても、その座を譲らなかった。
このあと閉幕までのほぼ2カ月間、しっかりと役目を果たした。セーブがつく接戦で失敗なしの16セーブ。阪神は閉幕直前に6連勝し、3位でクライマックスシリーズ(CS)へ滑り込んだ。この6戦中、5登板して3セーブをマークした。
さらに、CS第1ステージのDeNA戦で2セーブ。巨人に敗れたファイナルステージでも唯一勝った第3戦で救援勝利を挙げ、クローザーの座を固めた。
ここに至るまでの道は険しかった。阪神が最後に優勝した2005年にはジェフ・ウィリアムス、藤川、久保田智之で強力救援トリオ「JFK」を形成。07年からメインのクローザーに昇格し、最多セーブのタイトルを2度獲得した。
このころの球威は抜群。「分かっていても打てないストレート」と評判になった。たまにフォークボールをまじえるだけ。速球で押しまくり、面白いように三振の山を築いた。
13年に念願の大リーグ入りをしたが肌が合わず、3年投げただけで1勝1敗2セーブ。15年途中に日本球界に復帰後も引く手あまたとはならず、独立リーグの高知球団入りして待機した。
16年に阪神へ復帰したが、クローザーはマテオ。中継ぎで耐えながら機をうかがった。18年暮れに矢野燿大監督が就任した。かつてバッテリーを組んだ間柄だが、監督としての目は厳しかった。
そして、やっと巡ってきた昨夏のチャンス。「クローザーに復帰させてもらったのではない。自分が成長したと思っている」。18年オフの契約更改ではまずまずの成績ながら減俸を申し入れたが、昨季の活躍で推定年俸は2億円になった。
五輪開催のため今季は開幕が早く、夏場に休止期間がある変則日程。それに対応する準備に怠りはない。7月に40歳になるが、体力、技術は充実している。その名も球児。高知商のエースだった甲子園球児時代の気力も衰えていない。
(スポーツライター 浜田 昭八)