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室伏由佳さんが伝える競技経験 その「鉄学」とは

陸上投てき 室伏由佳(最終回)

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2004年アテネ五輪に出場した室伏由佳さん(42)は、その後も円盤投げとハンマー投げの投てき2種目で活躍した。合わせて日本選手権17回優勝という成績は、「アジアの鉄人」と呼ばれた父、重信(74)、五輪金メダリストの兄、広治(45)に勝るとも劣らない。だが競技生活は常にケガと病気を抱えながらのものだった。現在、由佳は順天堂大学の講師を務めるなど、現役時代のつらくも貴重な経験を伝えようと活動している。(前回は「一家で五輪出場の室伏由佳さん ケガ・病気が襲う」

◇   ◇   ◇

初のオリンピック出場をかなえた04年アテネ五輪後、室伏由佳のキャリアは円熟期を迎える。五輪イヤーにはハンマー投げで急成長を見せ04、05、08、09、10年と、日本選手権の円盤投げとハンマー投げ両種目で5回のダブル優勝を果たし、07年には円盤投げで自身の日本記録を8年ぶりに更新。10年のアジア大会(中国・広州)では、ハンマー投げで表彰台(銅メダル)に立った。男女を通じ、投てき2種目でトップレベルを長く維持するのは極めて難しいとされる。かつて、鉄人の娘、広治の妹と呼ばれた女性は、父とも、兄とも異種の偉業を成し遂げた。

一方で、原因不明の急性腰痛症を発症した05年から、常に腰の状態をうかがいながらトレーニングでの工夫を重ねなくてはならなかった。高校時代に椎間板ヘルニアの診断を受けたが、急性腰痛症の痛みは全く違う。歩行さえできなくなるほどだった。

また、09年に判明した子宮内膜症も悪化し、様々な対症療法を試みる。

コンディショニングを最優先にしたピル使用の知識、ホルモン療法の方法など、当時の日本の女性アスリートは欧米に比べて十分な情報を与えられていなかった。未知の分野を切り開くため自分で資料を読み、適切な情報を得ようと必死に学んだ。

女性アスリート、指導者のために

「選手は我慢強く、どうしても競技を最優先してしまう傾向があります。婦人科の疾患は特に、相談するドクター、副作用を考えたうえでの服薬、さらにトップレベルを維持しながらどう病気と付き合うかなど、とても難しい問題です。私の経験をこれからの女性アスリート、同時に指導者のためにも少しでも生かせるよう、経験をシェアしたい、と考えたんです」

病気、ケガと付き合い、克服しながら競技を続け、10年には、経験を伝えるため踏み出した。

当時所属していたミズノ、女性スポーツを支援するNPO法人「JWS(ジュース)」、産婦人科医の江夏亜希子らの支援で初めて開かれたシンポジウムには、男女数十人が集まり、この場で指導者を前に、婦人科の問題とどう向き合うか、適切な治療、服薬などデータをもとに解説した。なかなか表に出ない、しかし重要な話をカミングアウトし共有しようとする勇気は、円盤投げ、ハンマー投げの記録に加え、由佳にもう一つのキャリアを与えた。

アジア大会での銅メダルを獲得した翌年、原因不明の腰痛は、2種目での投てきを繰り返した負担による「脊柱管狭窄(きょうさく)症」とようやく判明する。原因が分かり、引退への地図も描ける。競技者としての集大成に、12年のロンドン五輪選考会にチャレンジ。代表にはなれなかったが、五輪に区切りを付け、6月、痛みの原因となっていた腰の神経をはく離する大きな手術に踏み切った。しかしここでもまた、自らの体を「実験台」とするかのように、リハビリを行い、3カ月後の9月、全日本実業団選手権で復帰、同時に現役最後の試合に臨んだ。

引退を労うため最後に花束を渡したのは、重信だった。父と兄は、いつも「どんな競技でも、自分の体より大切なものなどない。体を最優先するように」と、ケガや病気に苦しんだ由佳を見守った。

「体を酷使しながらの現役でしたが、それでも2種目ともかけがえない存在だった。長く続ける中で、結果が良いときも、たとえ悪くても、おおらかに受け止められるようになったような気がします」

最後の会見でこう明かした。

現役中の01年から中京大学大学院で学んだスポーツ心理学、スポーツ認知行動科学(体育学修士)のスペシャリストとして、引退後は上武大学の客員教授などを務めた。また、腰痛の経験から、徳島大学医学部運動機能外科で講師となるなど、アスリートとして苦しんだケガをセカンドキャリアにつなげた。

婦人科の病気を抱えながらトップの座を維持できた理由は、薬を適切に使うための知識を持っていたからだ。スポーツの現場では、間違った薬、サプリメントの服用がドーピングを招く。自身の経験をもとに薬物の正しい知識をさらに深めようと、16年には順天堂大学スポーツ健康科学部で博士号を目指す。19年、「日本人大学生アスリートにおけるドーピング・コントロール及びアンチ・ドーピング教育経験がアンチ・ドーピングの知識に及ぼす影響:横断的研究」を学位論文として発表した(現在は順大同学部の講師)。

「アスリートファースト」とは

19年には、選手の強化体制などで一新された全日本テコンドー協会の理事にも就任する。重いケガや病気と向き合いながらも五輪、世界選手権代表となり、日本選手権に2種目で17回もの優勝を遂げた特別な競技歴は、いかに「アスリートファースト」を実現していくかに集約される。しかし「選手第一」の真意とは由佳にとって、周囲にお膳立てされるものではなく、自ら責任を持って競技を追求する姿勢から生まれる。

厳しい現役生活で学んだのは「セルフコンディショニング」だ。

「自分で選んで、自分で考え、責任を持つ。自分の体に向き合い、どうすればいい状態を保てるかを知るのは、スポーツ選手だけではなくて大切な姿勢だと思います」

そう話す。

講演のテーマも、専門のドーピングから一般の人々のための「スポーツを通して身体を考える」「競技で学んだメンタルタフネスを生かす」と多岐にわたる。

自分の体と常に向き合い、いい状態を保つ。それは由佳、広治にとって、指導者であり目標のアスリートでもあった、重信の教えだ。1980年、モスクワ五輪の年、まだ3歳の由佳に鮮明な記憶はない。しかし、後に父の当時のインタビューを見る機会があった。五輪をボイコットする事態に、多くの選手が涙を流し無念さを訴えている中、淡々と答えていた父の様子に衝撃さえ受けた。

「選手としてやるべきことは、明日からも何も変わりません」

日々のトレーニングを淡々と積み重ねる。つらく、困難は多い。しかし自分が選んだのだから、喜びも大きい。常にハンマー、円盤という鉄の塊と対話し続けた一家の、「鉄学」といってもいい思想なのだろう。

由佳は、現役時代、一家3人で計8回ものオリンピックを経験できた一因を「それぞれがまるで衛星のように、等間隔でお互いを見守っている絶妙の距離感があるからかもしれません」と分析する。今夏の東京五輪、広治は大会組織委員会のスポーツディレクターの任務を負い、由佳と重信は観戦者。重信は昨年、インターネットで開会式、陸上のハンマー投げ、100メートルのチケットを申し込んだが全滅。1984年ロサンゼルス五輪日本選手団の旗手が肩を落とし「いやぁ、外れた。こうなったら涼しい家の中でオリンピックを見よう!」と娘と話している様子はほほ笑ましい。

由佳が、一家が挑み続けたオリンピックとはどんな場所だったのか。

「オリンピックに出場し、そこで戦うとは、まるで暗闇で針の穴に糸を通すように難しいものです。今でも当時を思い出すと、胸がズキズキする痛みがよみがえってくるほどですから。世界中で出場できない選手のほうがはるかに多く、だからこそ人生を左右する力があります。出場して終わりなのではなく、大会が終わっても現役でなくなっても、その価値と意義をずっと考えさせてくれる。オリンピックは心の中で終わらない。そういう神聖なものだと、今、分かります」

どれだけオリンピックを経験していても、聖火の点灯シーンにはいつも心を揺さぶられる。今から東京のそのシーンを想像するだけで「胸が高鳴る」と笑った。

=敬称略、この項終わり

(スポーツライター 増島みどり)

室伏由佳(むろふし・ゆか)
 1977年、静岡県沼津市生まれ。中学時代に短距離選手として陸上競技を始め、市邨学園高校(現・名古屋経済大学市邨高校)で円盤投げに転向する。進学した中京大学では日本インカレを4連覇するなど活躍。21歳からハンマー投げにも取り組み、世界でも珍しい投てき2種目を専門にする。2004年アテネ五輪にハンマー投げで出場するも決勝には進めなかった。世界選手権には05年にハンマー投げで、07年には円盤投げで出場した。10年アジア大会ではハンマー投げで銅メダルを獲得。ただ長年、腰痛などに苦しみ、2度目の五輪出場は果たせず12年9月に引退した。円盤投げは日本選手権を12度制し、58メートル62センチの記録は日本歴代2位。ハンマー投げは日本選手権で5度優勝し、67メートル77センチは現在も日本記録。父はハンマー投げで五輪4大会代表となり、アジア大会を5連覇した「アジアの鉄人」こと重信氏。兄は同種目でアテネ五輪金メダリストの広治氏。現在、順天堂大学スポーツ健康科学部講師のほか、聖マリアンナ医科大学などの非常勤講師を務める。日本アンチ・ドーピング機構アスリート委員。
増島みどり
 1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる2018年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師。

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