榊原秀雄氏 予科練仕込み、実を捨て名をとる
昭和52年、小豆相場をめぐって榊原秀雄の反骨精神がいかんなく発揮される事件が持ち上がる。この年、小豆の大仕手戦が勃発した。吉原商品時代の親分である"蝮の本忠"こと本田忠とその弟分の立川政弘(富士商品社長)が買い方に陣取り、売り方には山梨商事社長の霜村昭平や「静岡筋」栗田嘉記らが勢ぞろいした。序盤戦は買い方有利の展開だったが、取引所の売買規制強化や台湾小豆の大量輸入などから暴落に次ぐ暴落となる。本田
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