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室伏由佳さん、投てき「鉄人一家」に生まれた苦悩

陸上投てき 室伏由佳(1)

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陸上競技で円盤投げとハンマー投げの投てき2種目を専門にする選手は世界でも珍しい。室伏由佳(42)は極めて難しいキャリアに挑み続け両種目で日本記録を樹立した選手だ。ハンマー投げで「アジアの鉄人」と呼ばれた父、重信(74)、五輪金メダリストの兄、広治(45)に隠れがちだが、2004年アテネ五輪に出場した実績を持つ。ただ競技生活はケガや病気との闘いでもあった。2度目の五輪出場は果たせず、12年に引退。現在は順天堂大学で講師を務める。五輪を経験したアスリートの引退後をたどる「未完のレース」を、スポーツライターの増島みどりが連載する。

◇   ◇   ◇

レストランは、新年を迎える高揚感に包まれ、人びとの楽しそうな声でにぎわっていた。

外国企業が多い場所柄、様々な言語が飛び交う店の一番奥の席で、室伏由佳はすっと伸ばした背中を少しだけ反転させ、「見逃さない」とばかりに、入り口を見つめている。こんな待ち合わせひとつにも、昔と変わらない真面目な性格が映し出されるのだろう。店員の案内よりずっと早く、「ここです!」と立ち上がり、笑顔で手を振った。

「おっしゃっていた昔の資料や切り抜き、段ボールをひっくり返して探してきたんですが、これで足りますか?」

そう言って変色した新聞のスクラップ、きちんと時代別に整理されたノートを広げる。資料も整理し、きちんと保管する。これも昔から変わらない彼女の几帳面(きちょうめん)なところだ。

「まずは、これ……お口に合うか分かりませんが、とっても珍しい焙煎をするコーヒーなんですって」と、沖縄出張の土産を袋から取り出す。お菓子作りはプロ並みの腕前で、いつものように健康にも配慮した焼き菓子を丁寧にラッピングして手渡された。父・重信(中京大名誉教授)も、2020東京五輪組織委員会でスポーツディレクターを務める兄・広治も、由佳が焼くシフォンケーキが大好物なのだという。

重信の1972年のミュンヘン五輪出場以来、8度のオリンピック(80年モスクワは不参加)にハンマー投げで挑んできた「鉄の一家」が、そろってふわふわのシフォンケーキをほお張る。何ともほほ笑ましいシーンを思い浮かべる。

室伏ファミリーの一員ならば、競技に何の苦労もなかっただろう。そう思われてしまう。しかし由佳は現役時代、父や兄、また女子トップアスリートたちとも異なる稀有(けう)なキャリアを積んできた。

ケガ、病気に次々見舞われる

本来ならばトップ選手としてもっとも充実し、キャリアに輝きを増してくれるはずの五輪を境に、むしろ体力を削り取られるようにケガ、病気に次々と見舞われ闘病と競技生活を両立させてきたからだ。腰、肩、婦人科系の病。まるで五輪出場の代償かのように、次々とフィジカルでの問題が立ちはだかる。女子トップアスリートへのサポート態勢が必ずしも整っていなかった時代、自分自身を実験台として捉え、果敢に乗り越えた部分もあったはずだ。

2004年、女子ハンマー投げでアテネ五輪出場を果たした後、歩くのも難しいほどの急性・慢性の腰痛症に襲われ、苦しんだ。何より辛かったのは激痛よりも、痛みの原因がどんな検査をしても判明しなかった点だった。「痛みさえなくなれば記録はまだ伸びるはず」と、わずかな望みにかけてトレーンングを続けたが改善しない。引退する前年の11年に、ようやく最新の画像検査によって「脊柱管狭窄(きょうさく)症」と判明するまで、原因不明の腰痛と闘い続けなければならなかった。

「ハンマー投げを始めて5年半でアテネ五輪に出場を果たせたので、その後、とても充実し順調な競技生活を送っていくはずでした。五輪前年には、すでに検査で分かっていた子宮内膜ポリープを切除する手術を受けていたのですが、その後は腰の痛みとの闘いに時間も神経も取られてしまって、婦人科の病気に注意し、定期健診を受けるなどの余裕がなかったんですね」

今は笑顔でそう振り返るが、病状は深刻だった。子宮内膜症で、卵巣内にできた腫瘍が破裂している状態だった。すぐに治療を始めたが、当時、まだ婦人科系の病気を持つ女性選手のコンディショニングにアプローチする情報量は、欧米に比べて圧倒的に不足していた。またドーピングとの関連性において、どんな薬を、どういった周期で服用し、それをドクターと連携し正しく事前申告するかにも神経を使わなくてはならない。スポーツのキャリアを最大限に守って治療を続けるには、本人だけではなくドクターらの深い知識や周囲の理解は必須だ。まして由佳のようなトップ選手となると必要な情報、知識を自分で集めなくてはならない部分も多かった。

09年、子宮内膜症の手術に踏み切った。

才能に恵まれた室伏家の長女として競技に集中している、と見られていた。しかし、一錠のピルが症状に合うか合わないか、副作用は問題ないかを、試行錯誤しながら見極めていた自身の厳しい闘病生活のほうはあまり知られていなかった。

高校時代には円盤投げでまず実績をあげ、その後ハンマー投げを始めたが、父はパワーを必要とする投てき競技において、娘の体をずっと案じていた。世界的にもあまり例のない両種目でのトップ選手として、外国勢に対抗するには細く、パワーが十分ではない。また、左足を軸に回転の精度を高めると、どうしても体の左側に大きな負荷がかかってしまう。42歳まで現役を貫いた重信には、これらのリスクが予想できた。

腰痛でバランスを崩した体に、今度は利き手の右手と肩に、神経障害が出てしまった。スポーツ障害、婦人科系の病気と、12年秋に引退するまでの8年間、つらく長かった闘病生活の経験を、由佳はセカンドキャリアにつなげた。

これまで公の場で語られる機会のなかった婦人科系の病気をあえて公表し、重症化しないための予防策やホルモン治療に至るまで、自分の苦労を後輩に生かしたいと考えた。

「男性が圧倒的に多いスポーツの現場で、子宮内膜症の話をわざわざしなくても、とも考えました。でも記者の皆さんに取材でお話しするためには、自分も、より深く理解していないときちんと伝わらないな、と気付かされました。今ではこうした講演に、男性の指導者、選手のご家族なども多く来てくださるんです」

勇気を持って病気を告白し、地道に続けてきた啓蒙活動は着実に成果をあげている。闘病と競技を両立した日々に考え、実践した「セルフコンディショニング」を、科学的に裏付ける。研究者、同時に教育者としての今を、アスリートの経験と理論が支えている。

アスリートから研究者に

現役の頃から、母校の中京大学の大学院で「スポーツ心理学」(スポーツ認知行動科学)を専攻し体育学修士号を取得。引退後は、順天堂大学スポーツ健康科学部博士課程で学び、19年3月には、「日本人大学生アスリートにおけるドーピング・コントロール及びアンチ・ドーピング教育経験がアンチ・ドーピングの知識に及ぼす影響:横断的研究」を英語論文で国際ジャーナルに投稿し受理された。その実績が認められ、スポーツ健康科学博士号を授与されたのに加え、引用率の高い国際雑誌に掲載された好成績により、学位記授与式の際は総代も務めた。父も兄もトップ選手であり、研究者である。経験と実践を科学的に立証する探究心は、投てきの技術同様、室伏家の「DNA」だ。

現在は、順大スポーツ健康科学部で講師を務め、スポーツ医学研究室に所属しアンチ・ドーピングの講義を行う。また、全国で講演活動を行い、19年12月には、内紛で混乱した「全日本テコンドー協会」の新理事にも選出された。

由佳はふと、テーブルに置いた新聞記事を手に取って懐かしそうに見出しを追った。闘病と競技の両立に苦しんだ時間と同じくらいの長い苦悩が、新聞記事には染み込んでいる。

「鉄人の娘 ハンマー投げデビュー」

「室伏一家、勢ぞろい」

「もう七光から卒業よ」

他人から見れば、羨ましいほどの父と兄の存在は由佳にとって重い看板だと感じた時期もある。由佳が記事に登場すると見出しは常に「娘」であり、「妹」であり、「一家の一員」として取り上げられる。

「いつも、属性で自分を語られてしまうんです。1人の競技者でも、室伏由佳でもない。鉄人の娘、広治の妹と書かれ、質問もお父さんのアドバイスは? とか、お兄ちゃんと何を話したか、といった内容の繰り返しでした。競技には打ちこみました。でも、どうせ聞きたいのは2人の話、私ではないんでしょう、と。なにくそ、私は自分のやり方で競技をするんだ、と思っていました」

高校時代、円盤投げの有望選手として期待され中京大に進学。1年生で、日本選手権に初めて採用された女子ハンマー投げに挑戦し、いきなり3位に入った。この日本選手権で、広治が初優勝を果たしたために一家への期待感はさらに高まり、「鉄人の娘」「新鉄人の妹」と、初挑戦した種目で早くも望んでいない看板を負わされたようで嫌になった。18歳に、置かれた立場と折り合いをつけるなど無理だったに違いない。

2度とハンマー投げはやらない。実は、たった1回の競技会で「引退」を決意してしまった。

次にハンマーを投げるのは、4年が過ぎようという頃だった。

=敬称略、続く

(スポーツライター 増島みどり)

室伏由佳(むろふし・ゆか)
 1977年、静岡県沼津市生まれ。中学時代に短距離選手として陸上競技を始め、市邨学園高校(現・名古屋経済大学市邨高校)で円盤投げに転向する。進学した中京大学では日本インカレを4連覇するなど活躍。21歳からハンマー投げにも取り組み、世界でも珍しい投てき2種目を専門にする。2004年アテネ五輪にハンマー投げで出場するも決勝には進めなかった。世界選手権には05年にハンマー投げで、07年には円盤投げで出場した。10年アジア大会ではハンマー投げで銅メダルを獲得。ただ長年、腰痛などに苦しみ、2度目の五輪出場は果たせず12年9月に引退した。円盤投げは日本選手権を12度制し、58メートル62センチの記録は日本歴代2位。ハンマー投げは日本選手権で5度優勝し、67メートル77センチは現在も日本記録。父はハンマー投げで五輪4大会代表となり、アジア大会を5連覇した「アジアの鉄人」こと重信氏。兄は同種目でアテネ五輪金メダリストの広治氏。現在、順天堂大学スポーツ健康科学部講師のほか、聖マリアンナ医科大学などの非常勤講師を務める。日本アンチ・ドーピング機構アスリート委員。
増島みどり
 1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる2018年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師。

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