分断の暗喩 魂こもる演技(演劇評)
舞台「十二人の怒れる男」
東日本大震災被災地との演劇交流を続ける兵庫県尼崎市のピッコロシアター。仙台の演劇集団、SENDAI座☆プロジェクトには震災直後から関西公演を支援。熱い絆から生まれた舞台「十二人の怒れる男」が、昨年文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。同作が再演された(6日所見、レジナルド・ローズ作、宮島春彦演出)。
陪審員に選ばれた12人の男達。彼らに、スラム街の少年の命が委ねられる。父親殺しの目撃証言があり、真実なら死刑が確定する。誰もが少年の有罪を確信するが、陪審員8号(樋渡宏嗣)だけが有罪に反対、白熱した議論が始まる。
長机とパイプ椅子だけの簡素な空間。蒸し暑い小部屋での心の格闘を、俳優達が集中度の高い演技で熱演。スラムは犯罪者の温床と決めつける差別意識。自分の予定を優先、結論を急ぐ者の、他者の命に対する無神経。8号も無罪に自信があるわけではない。ただ議論もせず、少年を死に追いやることはできないという信念が彼を支え、証言の小さな矛盾を粘り強く検証する。
1950年代のアメリカの作品。今見ると、分断社会の暗喩に思え、また人の痛みに対し、私達は無関心になっていないかと突き付けられた。スラム街への憎悪にも似た偏見を抱き、死刑に執着する10号(飯沼由和)は、スラム街でのトラブルに家族が巻き込まれた経験があることを想像させる。それは復讐(ふくしゅう)の連鎖=戦争の縮図を示すものか。
法廷劇を超えた、現代社会への問題提起の劇。最後は8号と3号(渡部ギュウ)の真っ向勝負。感情的な3号は、容疑者の少年と、長年確執のある息子を重ねていたことがわかる。証拠の矛盾を冷静に立証した8号に軍配が上がる。樋渡と渡部両俳優の人間臭いぶつかり合いは魂がこもり、見事なクライマックスだった。
(大阪芸大短期大学部教授 九鬼葉子)
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