ものづくり、知の集積地を 関西産学の距離を近く
未来像 マイクロ波化学社長 吉野巌さん
■大阪大学発スタートアップのマイクロ波化学(大阪府吹田市)は、化学品の効率生産を支援する事業で成長を続ける。先導するのは創業者で社長の吉野巌さん(52)。幼少期は海外で暮らす期間が長く、高校・大学ではアメリカンフットボールに精を出した。
3歳まで北千里に住んでいた。その後、父親の仕事の関係で小学校5年生までシドニーやワシントンで暮らし、外国語は身についた。小学6年生で日本に戻ってきた時は日本語が話せず苦労した。横浜の国立中学校を経て慶応義塾高校に進学した。大学までの7年間はアメフトに専念し勉強はほとんどしなかった。「日本一」を目標に練習に励んだが夢はかなわなかった。
■大学卒業後は商社大手の三井物産に入社した。約10年間働いた後、米国のビジネススクールに通い経営学修士(MBA)を取得した。
海外で仕事をしたかったため商社を選んだ。人を大事にする風土や魅力的な社員が多い三井物産に入った。化学品の営業やトレーディングに携わった。ただ、働いているうちに海外勤務への意志が徐々に薄れていった。商社は東京に機能が集中している。海外は出先のような位置づけで仕事のスケールが小さくなると感じ始めた。新しいチャレンジをしたいとも考え、米国でビジネススクールに通うことを決めた。
MBAを取得し、米国での就職を目指した。シアトルのエネルギー・環境関連のコンサルティング会社で働き始め、米国のスタートアップを日本企業に紹介したり資金調達を手伝ったりした。
■2007年にマイクロ波化学を設立。当初は失敗が多く苦労の連続だった。
米国での経験などからエネルギー・環境問題に貢献できる企業を立ち上げようと思った。三井物産の社員の紹介もあり、阪大でマイクロ波を研究していた塚原保徳氏らと創業した。マイクロ波の技術を世の中に普及させたいという強い熱意があった。
失敗は数限りない。14年に大阪市住之江区でマイクロ波で化学品を製造する工場を立ち上げたが、時間やコストが想定以上にかかった。20人弱の素人集団では生産すればするほど赤字が増えた。
ビジネスを進める上で重要なのはスピード感を持つことだ。あるプロジェクトを手掛けるか否かを判断する際、事前情報が3割程度しかわからなくても進めるべきだ。特に製造業関連はIT(情報技術)系の企業に比べて、体制整備に多くの時間がかかる。加えて安全性などを担保する必要もある。もちろん、会社の全体的な目標を確認する作業もその都度必要だが、後先のことはあまり考えずに目の前の課題に専念すべきだ。
当社も最初は廃油からバイオ燃料を製造する事業が中心だったが、失敗をしながら仮説・検証を重ねてマイクロ波の技術を売る事業モデルに転換してきた。
■関西は優秀な大学が多く、人材も含めたインフラが整っている。
一週間のうち4割程度は東京にいることが多いものの、マイクロ波化学を大阪に設立して正解だった。関西は素晴らしい大学が多い。加えて優秀な中小企業や大手もそろっていて、ものづくりの基盤は整っている。街もコンパクトに凝縮されていて、東京のような大都市より物理的な距離が近く、ベンチャービジネスには向いている。
この魅力的な基盤を盛り上げる仕組みが必要だ。具体的には大手や中小、ベンチャーも含めたものづくり企業が集積するサイエンスパークのような場所が必要だ。研究開発施設や実証試験場を呼び込んで知の集積地をつくれば、関西の底上げにつながる。
(聞き手は横山龍太郎)
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