米菓「ビーバー」 由来は展示の歯(古今東西万博考)
1970年・大阪
北陸を中心に親しまれている米菓「ビーバー」は、もち米に昆布を練り込み、焼き塩で味をつけた揚げあられ。商品名の由来は1970年の大阪万博だ。製造元が相次いで経営破綻し、現在は3社目の北陸製菓(金沢市)が製造販売を担う。
最初に開発した福富屋製菓(石川県白山市)の従業員が社員旅行で万博を訪れた時、カナダ館に展示してあったマスコットのビーバーの歯とあられの形が似ていると思い名付けたという。以来、北陸では定番のお菓子になった。
しかし、時代が移ると競争激化などで販売が低迷。1996年に福屋製菓(同)が事業を買収したが再生には至らず、2013年に経営破綻した。「伝統の味」を惜しむ地元の声に応えて14年に北陸製菓が事業を継承。福屋製菓の職人らも北陸製菓に移り、発売時のレシピを守り続ける。
北陸製菓の8代目、高崎憲親社長(27)は若い消費者の開拓に知恵を絞る。18年には認知度アップを目指す専門チームを発足。LINE(ライン)スタンプやインスタグラムを開設したほか、6月には全国のスーパーなどでプレーン味も発売した。
7月には富山県出身で米プロバスケットボール協会(NBA)ウィザーズの八村塁選手が、大好物としてビーバーをSNS(交流サイト)で紹介。高崎社長は「注文が殺到し、増産しても間に合わない」とうれしい悲鳴を上げる。
現在はノドグロとカレー味の販売を休止し、プレーンと白エビの2種類に絞って販売。高崎社長は「大阪は(ビーバーの)キャラクターが生まれ、商品名がついたきっかけの場所。縁を大切にして25年の大阪万博でもアピールしたい」と意気込む。
(薬袋大輝)
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