清流劇場「野がも」正義か平穏か、命題問う(演劇評)
正論や真実の追求は必要と思いたいが、時に家庭や職場の人間関係を悪化させることがある。安定した生活のため、目を瞑(つむ)るべきなのか?
清流劇場が、イプセンの「野がも」を上演(11月16日、大阪市の一心寺シアター倶楽で所見、田中孝弥構成・演出)。
グレーゲルス(高口真吾)が久しぶりに帰郷。旧友のヤルマール(孫高宏)と再会するが、彼の妻が、父の昔の愛人・ギーナ(日永貴子)と知り、彼の娘(服部桃子)が、実は父の子であると確信。理想主義者のグレーゲルスは、ヤルマールにすべてを話し、真実を知った上で家族関係を再構築するよう諭す。だがヤルマールは現実を受け止められない。
舞台はヤルマール家の団欒(だんらん)の部屋。その前に無数の木片。頭上には青いネット。家庭が隠し事で覆われていることを想起させる。不安定な木片の上を歩く俳優。木片は「現実」を暗示するように見える。
真実を追求した結果、娘の自殺という悲劇を迎える。それでも自分は正しいと主張するグレーゲルスを、高口真吾は滑稽に造形。一方、過去を隠し、物事を深く考えず、日々の暮らしを懸命に生きるギーナを、日永貴子はしなやかに描写。愚かな面もあるが、この生き方も否定できないと思わせる、説得力のある演技。
俳優達が好演、各人物の価値観を活写。もし日常で出会ったら、否定したくなる人物像も、俯瞰(ふかん)して観察することができ、立場が理解できた。19世紀のノルウェーの作品を、現代の私たちを照射する、リアルな舞台に仕上げた。
正義の追求か、平穏のため虚偽にも目を瞑るのか。家庭に限らず、広く社会で直面することが多く、看過しがちな命題を普遍的に問い掛けた。
(大阪芸大短期大学部教授 九鬼 葉子)
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