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海外での指導で見つめ直した柔道 東京五輪に生かす

柔道 福見友子(最終回)

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柔道女子48キロ級の福見友子(34)は、崖っぷちからの大逆転で2012年ロンドン五輪の出場を果たした。だが、女王・谷亮子(44、旧姓・田村)が5大会にわたって守り続けたメダルを逃してしまう(5位入賞)。翌13年引退し、指導者の道に進む。最終回は日本女子代表のコーチとして20年東京五輪を迎える福見の心情を届ける。(前回は「同じ相手に3連敗 『負ける覚悟』から柔道伸びる」

◇   ◇   ◇

12年のロンドン五輪前年、48キロ級で代表の座を争うライバル・浅見八瑠奈(31)に3連敗を喫し、福見友子は追い込まれていた。ところが、五輪の望みが消えた、と覚悟を決めたこの時期、深い充実感を噛みしめていたという。

「相手の対策を練り、勝負の裏の、さらに裏をかく、といった戦術の部分でいつの間にか苦しくなっていたんですね。それが、崖っぷちに立ったら柔道が純粋に楽しくなってどんどん成長している気がしました。不思議な感覚でした」

土壇場ともいえる時期を、福見は今、つらい思い出としてではなくむしろいとおしそうに、笑顔でそう振り返る。

代表の座が遠ざかったがゆえに、柔道を純粋に楽しんでいた福見と、直接対決でライバルを破りポイントを順調に重ねていた浅見。五輪イヤーが始まると、流れはゆっくり福見に傾き始めた。

1月、ワールドマスターズ決勝で浅見を破って初優勝を果たすと、浅見がケガで欠場したグランドスラムパリ大会でも優勝。代表争いは5月、最終選考会となる全日本選抜柔道体重別選手権で決着する。優勝候補筆頭の浅見が、初戦で高校生・岡本理帆(藤枝順心高校)に敗れる波乱が起きる。一方福見は、浅見を破って決勝に進出した岡本を判定(3-0)で下して大会4度目の優勝。大逆転で五輪代表に選ばれた。

「いつも通り」では五輪で勝てない

02年、07年と、女王・谷亮子に勝ちながらその2勝とも五輪にはつながらなかった。7歳で初めて見たバルセロナから憧れ続けた五輪に、20年をかけ、ずい分と遠回りをしたが、ようやくたどり着いた。北京五輪以降、外国選手に敗れたのはただ1回のみで、その戦績から金メダル間違いなし、と筆頭候補にあげられロンドンを迎える。しかし準決勝で敗退し、谷がバルセロナから北京まで5大会にわたって死守してきた48キロ級のメダルも逃してしまった。平常心で挑んだはずだった。しかしその平常心こそ反省すべきだったと敗因を見つめる。

「いつも通り臨もうと、冷静で落ち着いていたとは思います。でも、メダルを取れずに終わった時、4年に一度の舞台は、いつも通りといった精神状態で勝てる場所ではないのだと分かった気がしました。いつも強い者ではなく、この日一番強い者が勝つ。一生悔いが残る試合をしてしまった」

3度目の挑戦でようやく出場した五輪でメダルを逃した柔道家は、ロンドン翌年の春、現役引退を発表する。全日本柔道連盟では同時期、日本のスポーツ界全体を揺るがすパワーハラスメントや不透明な選考といった問題が表面化し、「アスリートファースト」の観点から改革が進められていた。福見は全日本の女子コーチ就任を打診されていた。しかし縁あって、先に依頼を受けていたロシア女子代表の臨時コーチに就くため、モスクワへ単身で渡った。

毎日が新鮮だった。日本の柔道では「師弟関係」が基本で、指導はあくまで「受ける」もの。しかしロシアの選手たちは、稽古中も指導者と常にコミュニケーションを取ろうと、積極的に質問をぶつけてくる。質問をする相手は内容によって変え、その時々でベストと思われる助言を自分から得ようとする。ロンドン五輪男子73キロ級で金メダルを獲得したイサエフまでも、「組手をどう崩せばいいのか」と、率直に質問に来た。相手が女子コーチでも、48キロ級でも、柔軟に、どん欲に助言を求める姿に驚かされた。

「会話しながら、議論しながら関係性をつくりあげていくコーチングをロシアでの実践で学ばせてもらいました。彼らは、自分で強くなるために課題を見付け、質問する。あの時期の経験は今、女子の指導をする自分の基礎になっています」と話す。暴力や立場の優位性で指導者と選手の関係を結ぶのではなく、相手が納得しているか、そのための答えを自分が導き出せたか、それを考える。福見の指導法になった。

ロシアで、世界で戦うトップレベルの柔道家を指導した後、15年から1年間、母校・筑波大学の教員交流として、英国の「ラフバラ大学」に留学した。ロンドンから列車で1時間ほどのレスターシャー・ラフバラにある名門大は、ロンドン五輪・パラリンピックに90人もの代表を送るなどスポーツ分野でも高い評価を受ける。

ここで指導したのは、そうしたトップ選手ではなく、部員10人ほどの同好会だった。それも男子だけの。

日本では見たこともない古びた畳、とも呼べないようなマットレスを使い、柔道着は上下メーカーも色も違う。黒帯、茶色や黄色い帯を締め、突如やって来た女子世界チャンピオンを喜々として迎えてくれた。

彼らの格好はユーモラスだったが、姿勢は真剣そのものだった。ラフバラ柔道同好会は、柔道を教える原点や喜びを改めて実感させてくれた恩人なのだという。

「金メダルが当たり前の競技生活で見ていた柔道とは、全く違っていましたよね。彼らは楽しいから続ける。エーッ、それ背負い投げだっけ?と、技も面白かったですし、それをどう変えようかと工夫するのも楽しかった。まして私よりはるかに大きな男子ですから、余計に難しい。道着はバラバラ、畳もほこりまみれ。でもみんな柔道が好きで練習に来る。地方の大会でしたが、勝った時には感激で胸がいっぱいになりました。柔道で初めて、違う景色もあるのだと見せてもらいました」

時に思い出し笑いをしながら振り返る様子に、どれほど楽しく充実した時間だったのかがうかがえる。留学中は、子どもたちの指導も経験した。コミュニケーション能力が指導ではいかに重要な要素か、語学が完璧に操れないからこそ学んだものは大きかった。

ママさんコーチ、新たな道を切り開く

帰国し、16年秋に日本女子代表のコーチの依頼を受けた。妊娠していたため迷ったが、柔道界が選手と現場を第一に考える環境をより整備するためにも「新たな道を切り開いてほしい」と後押しされた。これまでなら考えられなかった妊娠中の指導、それもトップレベルでコーチを続けるチャレンジは、女子選手、代表の指導者だけではなく、選手を送り出す実業団の監督たちからも支持された。

福見の姿に、浅見も出産を経験して代表のコーチに復帰した。ママさんコーチ2人のタッグは、来年の東京五輪に向かって日本の女子柔道界の変化を象徴する。

2度勝ちながら破れなかった谷という壁、そしてメダルを手にできなかった五輪を、どう消化してきたのだろう。

福見は断言した。

「谷さんを、昔も今も変わらずに尊敬しています。谷さんがいて、自分は成長できたと思っています。もし同じ階級にいなかったら、今の自分もいなかったでしょう。全力で挑んだ結果ですから、恨むとか、運がなかったとか、そんなことは思わない。力が足りなかったんです」

これが、柔道家としての答えだ。

谷に初めて勝った高校時代に、周囲の期待や、日常の激変に耐えきれず辞めてもおかしくなかった。2度目に勝利した07年は、世界選手権代表の座を譲る結果に絶望しても不思議ではなかった。しかしいつでも愚痴や不満を胸にしまって、自らに「足りないものは何か」を問い続けた。

19年夏の世界選手権(東京)で、女子は個人戦で金メダル2つを含む8つのメダルを獲得した。東京を前に、選手に伝えたいのはひとつだけだと言う。

「日本柔道の代表選手である以上、勝利を求められるのは当然です。でもオリンピアンとして金メダルを手にできるのはたった1人。100人が挑んでも99人は敗れる側です。でも力を出し切ろうと挑めば、負けてもまた立ち上がれる。それに尽きる。そしてそこからさらに伸びよう、自分を高めようと思える。私が五輪へのチャレンジで学べたのは、そういう喜びだったのかもしれません」

山あり、谷ありの20年で見つけた、オリンピアンの答えである。

=敬称略、この項終わり

(スポーツライター 増島みどり)

福見友子
 1985年、茨城県土浦市生まれ。8歳から柔道を始める。土浦日大高校、筑波大学、同大学院、了徳寺学園職員と48キロ級で活躍する。得意技は背負い投げ、小内刈り、寝技。高校2年生だった2002年、65連勝中で日本人相手では12年間無敗だった谷(当時、旧姓・田村)亮子氏を破って一躍注目を集める。その後スランプに陥るが復活し、07年再び谷氏に勝利。谷氏に公式戦で2度勝った唯一の選手だ。日本一を決める全日本選抜体重別選手権は07、09、10、12年と4度制した。ただ1992年バルセロナ五輪から5大会出場した谷氏の壁は厚く、代表には縁遠かった。09年初めて世界選手権に出場して優勝。ようやく出場した12年ロンドン五輪では「金メダル確実」と言われながら5位入賞にとどまった。13年4月引退。1年間の英国留学などで指導者としての経験を積み、15年10月、JR東日本柔道部ヘッドコーチに就任、16年10月からは全日本女子代表コーチも務める。15年に結婚し現姓は今川、1児の母。
増島みどり
 1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる2018年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師。

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