もう1つのラグビーに考える パラ競技普及への課題
マセソン美季
ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会が世界をわかせていた10月中旬。もう一つのラグビー、車いすラグビーの国際大会「ワールドチャレンジ」が東京体育館で開催され、世界の強豪8カ国が熱戦を繰り広げた。5日間の大会で、来場者数は3万5700人。国内のパラスポーツ大会の史上最高を記録したそうだ。
平日、会場には東京都の招待で応援に駆けつけた小中高の子どもたちの姿が目立った。葛飾区から、バスで1時間かけてやってきたという小学校の副校長は「サポートがテーマの学習に来ました。選手同士、車いすの調整技師の方、大会運営スタッフ、観客などがそれぞれ、どのような手助けをしているのか、子どもたちと一緒に考えます」と話していた。
その副校長には決勝の日にも出会った。今度は家族と観戦中で「今日は教員の立場を忘れて応援しています!」。同校からはほかにも4人の児童が家族連れで来ていたそう。学校を通した観戦が、家族を巻き込んだ応援に結びついた様子を目の当たりにして、嬉しかった。
先月訪れた高知市でも、学校や市民の間で車いすラグビーに寄せられる関心が高いのが印象的だった。それは地元出身で、日本代表のキャプテンを務める池透暢選手の存在が大きい。チームメートと積極的に学校を訪問しているのも、支持を受ける理由の一つだろう。
そこでのファン層の拡大もさることながら、池選手を目指す次世代選手の発掘にも期待したいが、ことはそう簡単ではない。背景として、パラスポーツの道具が簡単には手に入らないことがある。例えば車いすラグビーの競技用車いすは、1台100万円超。個人であつらえるのはなかなか難しい。池選手は、高知県立障害者スポーツセンターが備品として用意してあった車いすのおかげで、競技生活をスタートできたそうだ。
パラリンピックがきっかけで、スポーツに興味を持った障害のある子どもたちが、競技に取り組めるようにするには、そんな道具の支援も必要。地方自治体や企業のみなさんに、ぜひ考えていただきたい視点だ。
1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。2016年から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。国際パラリンピック委員会(IPC)教育委員も務める。