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ママでも五輪コーチ YAWARAちゃんに2度勝った柔道家

柔道 福見友子(1)

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女子柔道48キロ級には長い間、世界に君臨した選手がいた。「YAWARAちゃん」こと谷亮子(44、旧姓・田村)だ。世界選手権を7度制し、五輪では5大会連続でメダルを獲得した。福見友子(34)は、その谷に2度勝利した唯一の選手だ。だが、ようやく出場した2012年ロンドン五輪は、「金メダル確実」と言われながらメダルに届かなかった。翌13年に引退し、指導者の道に。結婚して母親となった現在、JR東日本柔道部、全日本女子代表でコーチを務める。五輪を経験したアスリートの引退後をたどる「未完のレース」を、スポーツライターの増島みどりが連載する。

◇   ◇   ◇

穏やかな小春日和、福見友子は天気と同じような柔らかな笑顔で道場「竢成館(しせいかん)」の扉を開けた。

「きょうはわざわざ取材に来て下さってありがとうございます。お世話になります」と、深く頭を下げる。横には客用のスリッパがすでに複数そろえられており、掃除の行き届いたスタッフルームに案内されると同時に、道着姿のコーチが「よかったらどうぞ」と、香り高いコーヒーをテーブルに置く。

こうした一連の出迎え方にも、2015年からコーチを務めてきた女子柔道家の気遣いが隠れているのだろう。

JR山手線の大崎駅から線路に沿って10分ほど歩いた好立地に、15年、JR東日本は女子柔道部を創部し道場と選手の寮を完備した。道場にはまだ新しい、国際基準の畳が2面敷かれ、寮は目の前にある。

週末に2020東京五輪の選考材料ともなる講道館杯を控えていた。

「私のほうがドキドキ、緊張してしまって……やはり特別な大会ですから」と、指導者として2回目、キャリアを通じて5回目の挑戦となるオリンピックを今も見上げるように、目を輝かせた。

オリンピックという厚い壁に挑むたびに、辛い経験をかみしめて来た柔道家でもある。

高校2年生で女王・谷を破る

16歳、高校2年生だった02年の全日本選抜体重別選手権で、当時、シドニー五輪で金メダルを獲得するなど65連勝中と無敵だった48キロ級の女王・谷亮子(当時田村)を破って大きな注目を一気に集め、重すぎる期待も同時に背負った。

そうして始まった五輪と歩む柔道人生は、5年後の07年、21歳で再び谷に勝ったというのに、一層難しくなってしまった。

08年北京五輪前年、07年ブラジルでの世界選手権(世界柔道)代表選考をかけた体重別選手権決勝で、福見は出足払いで有効を奪い、谷を下して悲願の初優勝を果たす。北京を目指す上でも重要な国際経験になるはずが、全日本柔道連盟は選考会の直接対決の結果ではなく「海外勢に対しての実績は谷の方が上」と判断。深い落胆が翌年の北京五輪選考会にも影を落とし、完治しないケガを抱え1回戦で敗退し、ブラジル世界柔道の優勝で勢いをつけた谷が5回目の五輪代表の座を手にした。

02年に初めて谷を破ってから実に10年が経過した12年のロンドン五輪、3度目のチャレンジでようやく代表の座をつかむ。五輪の正式種目となった1992年バルセロナ以来、谷が金メダル2つ、銀メダル2つ、銅メダル1つを獲得してきた日本女子柔道界の看板階級ながら5位に終わった。

谷に2度も勝ちながら、若さ、選考と様々な理由が絡み全盛期を逸した悲運の柔道家。そんな表現もされた。しかし13年の引退から6年が過ぎた今、敗戦、苦しかった経験や後悔は、指導者としての福見を豊かに、たくましく支えているように映る。

「経験した全てが自分を高めてくれるものでした。谷さんの存在やオリンピックがもしなかったら、自分はここまで幸せな柔道人生を歩めなかったと思います」

そう言い切る姿に、夫や2歳の男の子とと過ごす、慌ただしくも充実した日々がのぞく。

突然の出産、そしてママさんコーチに

15年に2つ下の柔道家と結婚し、17年1月出産した。入念な準備をし、相手を研究し戦略を立てて挑んだ大一番なら何度も経験してきたはずだったが、「全く準備できないまま、突然母親になっていた」と笑う。16年リオデジャネイロ五輪翌年の年明け、ナショナルトレーニングセンター(NTC、東京・北)で女子強化合宿が行われていた。東京五輪までを見据えた強化方針などを直接伝える大切な合宿を最後に、産休に入るつもりだった。合宿が終わったら、会社とも産休の様々な手続きを本格的に進めようと考えていたところ、1カ月ほどの早産のためNTCで陣痛が始まってしまった。

女子代表監督の増地克之(49)に早朝「すみませんが、病院に行かせていただきます」と連絡を入れる。かかりつけの病院にタクシーで直行すると、「もう生まれますね」と言われ、そのまま出産。早産で2500グラムの元気な赤ちゃんが無事に誕生したのはもちろんうれしかったが、何の準備もしないままNTCから病院に直行して出産するとは。思いもよらなかった事態に、いい意味で力が抜けたという。

「引き継ぎや産休の手続き、出産の準備など残り1カ月で色々やろうと考えていたのです。計画通りにはいかなかったんですが、何だかそれがおかしくて。子どもが生まれてからはもう必死ですよね。おばあちゃん(夫のお母さん)がいなければやっていけません」

そう言って、お義母さんに向ってなのだろう、頭を下げるしぐさを見せた。夫とともに、義理の両親も指導者を続けられるよう手厚いサポートを惜しまない。1歳で保育園に預け、職場では監督・行徳祐二(51)の理解のもとコーチとして、女子代表でもコーチとして現場に復帰した。

取材の前日は、入園して2度目の運動会だったという。1歳での徒競走では、名前を呼ばれてもスタートラインに並べず、先生やママの手を借りて何とか走った。しかし2歳の今年は、自分でスタートラインに立って走り切った。結果は3位。「それも3人中の」と笑い、「1年で彼は彼なりに大きく成長しているんだな、と感激しました」と、母親の顔を見せる。

日本のトップだけが合宿を行ういわば強化の基地「NTC」からタクシーで病院へ。なかなかない状況下での出産だったが、結果的に現場に好影響をもたらしたようだ。増地をはじめ全柔連も出産を控えたコーチに配慮し、道着ではなくジャージーを着用してのコーチ参加を提案し、選手たちに出産後復帰する姿を実際に示せる機会にもなった。

福見に続いて、48キロ級のライバルでもあった浅見八瑠奈(31)も出産し女子代表のコーチに復帰。かつて、ロンドン五輪代表の座を激しく競い合った2人は今、一緒にママさんコーチとして代表を東京に向かって引っ張っている。

「2人で手帳を突き合わせて、子どもの保育園の予定などスケジュールを相談したり、子どもの話をしてアドバイスし合ったりする。浅見さんと今こういう関係で仕事ができるなんて現役の頃には考えられませんでした。本当にありがたいですし、経験を生かして選手を全力でサポートしたい」

女子選手が出産後も競技を続けられる環境を整備する重要性は、指導者にとっても同じだ。

息子は最近、「ママ、柔道に行くね」と言うと、寂しさをぐっとこらえて手を振ってくれる。

取材を終えるとふと時計を見た。保育園に迎えに行く時間なのかと聞くと、首を振った。

「いえ、試合への調整も兼ねてきょうはこれから高校に出げいこに行きます。夜は遅くなります」

もう一度深々とあいさつをすると、見送るために道場の外に出た。こちらの姿が見えなくなるまで、福見は立っていた。

講道館杯では3人が表彰台に上がり、東京五輪への道を指導者として走り出した。

=敬称略、続く

(スポーツライター 増島みどり)

福見友子
 1985年、茨城県土浦市生まれ。8歳から柔道を始める。土浦日大高校、筑波大学、同大学院、了徳寺学園職員と48キロ級で活躍する。得意技は背負い投げ、小内刈り、寝技。高校2年生だった2002年、65連勝中で日本人相手では12年間無敗だった谷(当時、旧姓・田村)亮子氏を破って一躍注目を集める。その後スランプに陥るが復活し、07年再び谷氏に勝利。谷氏に公式戦で2度勝った唯一の選手だ。日本一を決める全日本選抜体重別選手権は07、09、10、12年と4度制した。ただ1992年バルセロナ五輪から5大会出場した谷氏の壁は厚く、代表には縁遠かった。09年初めて世界選手権に出場して優勝。ようやく出場した12年ロンドン五輪では「金メダル確実」と言われながら5位入賞にとどまった。13年4月引退。1年間の英国留学などで指導者としての経験を積み、15年10月、JR東日本柔道部ヘッドコーチに就任、16年10月からは全日本女子代表コーチも務める。15年に結婚し現姓は今川、1児の母。
増島みどり
 1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる2018年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師。

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