即位パレードのルートは 皇居周辺で交通規制
天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が10日午後3時ごろから、皇居・宮殿から赤坂御所(東京・港)の間で行われた。台風19号による甚大な被害を受けて当初予定の10月22日から延期された。一連の即位関連行事のひとつで、沿道には10日早朝から多くの観覧客が集まった。
新作の行進曲「令和」の演奏を背に4.6キロ
「祝賀御列の儀」は、陛下が10月22日に内外に即位を宣明された「即位礼正殿(せいでん)の儀」、4回にわたって開かれた祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」と並び、一連の即位関連行事の中でも中心となるイベントだ。
いずれも国の行事として天皇が行うと規定された国事行為と位置付けられている。政府は台風19号への対応を優先し、パレードについては期日を延期した。
両陛下を乗せた車は宮殿を午後3時にスタートした。新たに作曲された行進曲「令和」の演奏をバックに、赤坂御所までの約4.6キロをパレード。出発時間はもともと同3時半の予定だったが、約3週間の延期に伴う日没時間の早まりや気温の低下を考慮し、30分前倒しされた。
一般の人が観覧できるのは、皇居・正門付近から赤坂御所正門までの沿道。最初の見どころは、皇居・二重橋を背景に、正門を出た車列が内堀通りへ向かって進む場面。勲章とえんび服姿の陛下と、ロングドレスにティアラ着用の皇后さまを乗せたオープンカーが、多くの警備車両や皇宮警察の側車隊に囲まれながらゆっくりと進む。
約50台、400メートルの車列が眼前を通過
国会正門前の交差点付近も見どころのひとつ。桜田門駅付近から続く坂道をほぼ真っすぐに見下ろすスポットだ。約50台の車列は約400メートルにも及ぶため、全ての車両が眼前を通過するには数分はかかりそうだ。
パレード終盤では青山一丁目交差点がポイント。コース中、最も長い直線道路が続く青山通りから、赤坂御用地沿いを大きくカーブしながら車列が進む。
今回のルートは平成時のパレードと異なり、国会図書館前や自民党本部前を通過する。警備上の観点から沿道の収容能力や安全確保といった点を重視し、首都高速の高架下にかかる区間が短縮された。「できるだけ両陛下を近くで見てもらえるよう、車列の視認性にも配慮した」(政府関係者)という。
「平成」の方が100メートル長く
平成のパレード「祝賀御列の儀」は1990年11月12日、即位礼正殿の儀の後に行われた。当時の天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)は皇居・宮殿の南車寄せで宮内庁楽部による君が代演奏の後、オープンカーに乗り込み、この日のために作曲された行進曲「平成」が演奏される中、赤坂御所へ向けて出発された。秋晴れの空の下、沿道は約11万7千人の人波で埋まった。
車列はご夫妻はじめ、当時皇太子だった天皇陛下、海部俊樹首相はじめ政府関係者らを乗せた車など計44台。ご夫妻の車両は、皇宮警察のサイドカーに囲まれ、その前後を警視庁の白バイが走った。パレードの総距離は今回よりも100メートルほど長かった。
パレード終盤、赤坂御所の手前約200メートルは沿道両側に700人の自衛隊員が整列、敬礼した。こうした光景は今回もほぼ同じような形で見られる見通しだが、過激派の活動が激しかった当時は、沿道に多数の制服警官が配置されるなど物々しさも目立った。車列が青山一丁目交差点付近を通りかかった時、爆竹が投げ込まれる事件も発生した。
10日午前7時から、皇居正門付近などパレード沿道近くの一般道では、警視庁による交通規制が行われた。警官が三角コーンや鉄柵で交差点を封鎖した。「DJポリス」も出動し、観覧者を誘導した。
沿道には、観覧者用に鉄柵などで囲ったブースが設けられる。付近には手荷物の中身をチェックする検査所が計40箇所開設されるため、訪れた人はまず現場の警察官の案内に従い、検査を受ける必要がある。
混雑状況については、警視庁がツイッターでリアルタイムで情報発信する。例えば、ブースの開放前は「まだ入れません」、開放後は「空いています」「大変混雑しています」「満員です」と段階別に色分けした地図を投稿する。
刃物などの危険物はもちろん、スプレーや横断幕、ドローンなどの持ち込みはできない。スマートフォンに装着する「自撮り棒」やカメラの三脚も禁止だ。持ち物検査所では持ち込み禁止物の預かりを受け付けていないため、家を出る時から持ち物には注意が必要だ。
警視庁は警備上の理由から、沿道付近の建物のベランダからのぞき込んだり、撮影したりする行為も遠慮するよう呼び掛けている。肩車や割り込みといった行為もトラブルのもとだ。
コース周辺の一般道の交通規制の時間帯は午前7時~午後4時半で、区間ごとに異なる。警視庁のホームページでは迂回路なども示されている。