古田敦也氏「プロ野球はディズニー目指せ」
プロ野球動かしたテック族・番外編(1)
2004年6月に起きた球界再編騒動。プロ野球選手会の会長として、球団数の削減に反対し続けた古田敦也氏に、当時の思いをつづってもらった。
縮小均衡に危機感
近鉄とオリックスの合併は突然起きましたが、プロ野球が怪しくなってきたという話は以前から聞こえていました。実際、巨人戦のテレビ視聴率はどんどん落ちていました。当時公表されていた観客動員数は実数ではなく、球場でグラウンドから見るとお客さんの数が減っていると実感していました。ただ、球団数を減らすとなると、そこから縮小均衡に陥り、さらにファンが減ります。(再編劇を)指をくわえて見ているとあっという間に12球団が10球団、8球団と減らされるだろうなという危機感がありました。
実際、米大リーグ機構(MLB)は(1994~95年に起きた)ストライキでお客さんが離れました。ただ、MLBでは優秀なビジネスマンが球界の外から入ってきて復活しました。日本でも球団合併による縮小路線ではなく、そういう人たちに取って代わってもらいたいと思いました。
ただ、実際の経営側との交渉はオリックスと近鉄が合併する線ですでに話はもう決まっているという感じでした。ずっと平行線で交渉にならなかった。そのまま続けていると、時間つぶしになってしまう。経営側にとって交渉したというアリバイ作りになってしまい、それはまずいなと考えていました。
ストライキ、苦渋の選択
経営側に言いたかったのは、そもそも僕たち選手に説明する前にファンに対してすらちゃんと説明していないじゃないですかという思いでした。
戦後に国民的娯楽の地位を築いたプロ野球は15年前、存亡の危機にあった。近鉄・オリックスの合併構想を機に噴出した球団再編運動。2004年、選手たちによる史上初のストライキを機に、球界は勃興し始めていたネット産業の起業家たちと出会う。リーマンショックの4年前、マネーがあふれユーフォリア(陶酔)という言葉を耳にすることが増えたころの話だ。テックの旗手たちはいかにプロ野球を動かし、今の再生へとつなげたのか。 (この連載は本編10回、番外編3回で構成します)
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