若手力士の指導、根気よく真っすぐに正す心構えで
9月に開かれた大相撲秋場所の前後に、残念ながらまた角界の暴力を巡る問題が2件、明るみに出た。十両だった貴ノ富士の2度目の暴力と、立呼び出しが若い呼び出しを小突いた件で、2人とも角界を去ることになった。共通するのは若手を叱る際に手を出してしまったということ。角界の上下関係がどうあるべきかという点でいろいろと考えさせられる事案だ。
8月末に部屋の若手を殴った貴ノ富士は曲折の末に引退という結果になった。1年半前にも付け人を殴って出場停止処分を受けており、当時の師匠の貴乃花親方ら周囲に多大な迷惑をかけた。あれだけのことがありながら、また繰り返してしまったのは残念でならない。暴力だけでなく差別的な発言もあったというが、本当に相手のことを考えて注意したのなら、そんな言葉は出てこないはずだ。
まだ22歳で、これからというときに貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋に移籍して師匠が変わったことが影響したのかもしれない。とはいえ同じ業界でも会社によって様々な決まり事があるように、どこの社会にもルールがあり、1人がルールを破ることで会社が危機に陥ることだってある。まして相撲部屋のような小さな組織では、1人のせいで他の力士の人生まで狂わされることにもなる。何度言い聞かせても理解しようとしない人間は、そこにいられなくなるのは仕方ない。
自分の弟子で名古屋場所後に新十両に昇進した魁勝にも、十両に上がったからといって調子に乗っては駄目だと強く言い聞かせている。幕下までは養成員という位置づけで修行する立場だが、今度はお手本として教える立場。強くなればなるほど、番付が上がれば上がるほど苦しくなるものだ。自分の言動が周囲に見られ、付け人に不手際があれば「おまえがちゃんと面倒を見ないからだ」と自分が怒られることにもなる。きちんとした生活をして強くなっていく姿を示して、下の者を引っ張っていかなければならない。そうすれば若い力士たちにも、真面目に稽古して強くなろうという思いが広がる。
■「暴力」の線引きには議論が必要
一方、立呼び出しの拓郎さんの件は複雑な思いにさせられた。10月の秋巡業中、客席で食事をしていた若手の呼び出しら2人を注意した際に頭や背中を小突いたというもので、2場所出場停止処分となり、本人が提出した退職願が受理された。もちろん手を出してしまったことは言い訳できない。ただ、果たしてどこからが「暴力」なのかという線引きについては議論の必要があるだろう。
原因をつくった若手にも非があるのは間違いない。勝手に席に座って食事をして、もし汚してしまった後にお客さんが来たらどう思うか。上の立場の者がそれを注意するのは当然だ。
今回の処分を聞いて、「嫌いな人間を怒らせて殴らせたらクビにできるんだ」とか、「自分たちが暴力事件を起こしたら、この部屋はなくなるんだよな」などと実際に口にする人間もいるという。そんな悪知恵を働かせる不届き者が実際に出てくれば角界の存続に関わるし、力の強い先輩がポンと肩をたたいただけで暴力といわれてしまっても困る。あるいは自分が巻き込まれるのは面倒だといって、身近で迷惑行為があっても見て見ぬふりをするようにもなりかねない。
誰かが間違っていれば、きちんと叱るのは大事なこと。とはいえ、ただ締め付ければいいというわけでもない。マニュアル通りにすればいいとなったら、規則を破った人間をすぐ辞めさせろということになる。それでは情も何もなくなってしまう。
■必死でやる力士、良い部分見えてくる
角界に足を踏み入れる新弟子は中卒や高卒、大卒と様々な年齢がいるが、社会経験がないという点では大きな差がない。やんちゃだった子もたくさんいて、他に行くところがないとか、親が手に負えないからと預けてくるようなケースもある。だからどうしても入門した頃にはいろいろと問題を起こしてしまうこともある。
学生時代に素行が悪かったからといって見捨てることはできない。千代大海のようにやんちゃだった人間が、この世界で立派に成長して地元のヒーローになる例だってある。日々の稽古を一生懸命やれば喜びや悔しさといった様々な感情が出てきて、取組に負けて泣いて帰ってくることもある。それも必死でやるからこそだ。
そんな経験を積み重ねることで、その力士の良い部分が見えてくる。悪い部分が出たからといって、すぐ辞めさせるようではいけない。育った環境によっては時間がかかることもあるが、根気よく正していくことで、いいものを引き出してあげなければならない。
一度曲がってしまったものを元に戻すのは大変だけれど、少しずつ伸ばしていって、自分の元を去るときには真っすぐにさせてあげたいと思う。相撲を強くすることはもちろんだが、人として成長させることも我々の大事な役割で、それが相撲界の発展にもつながると信じている。
(元大関魁皇)