平尾さんの先見性、ラグビー日本の快進撃に息づく
稲垣啓太が、田村優が、流大が泣いた。ラグビー・ワールドカップ(W杯)準々決勝で日本が南アフリカに敗れた10月20日は、くしくも「ミスター・ラグビー」、平尾誠二さんが2016年に死去した日。53歳での旅立ちに多くの人が悲しみの涙を流してから3年、今度はW杯4強入りを逃した悔し涙に暮れた。日本代表の大一番と命日が重なる奇縁は、平尾さんと現在の日本ラグビーの結びつきを表しているようでもあった。
平尾さんがラグビーの奥深さに触れたのは同志社大時代。1年生で試合に出てそつなくプレーしたつもりの平尾さんに、指揮官の岡仁詩さんは「おまえのプレーは優等生すぎて、おもろない」。ここから平尾さんは「しばらくスランプになった」。
最後方で控えるFBが最前線でタックルするといった、常識からかけ離れたプレーを岡さんが喜ぶのを見て、平尾さんは師が「勢いを大事にせなあかん」と言っていた意味が分かった。人間だから失敗はつきもの。慌てたり、調子に乗ったりという波も試合を左右する。ならば「常識に縛られるより、状況に応じて柔軟にプレーすることが大事だと。それまでの僕にはなかったラグビー観だった」。
「負けないようにゲームをした」という京都・伏見工業高(現京都工学院高)時代から一転、チャレンジ精神を重んじる岡さんの下、平尾さんは1982年度から史上初の全国大学選手権3連覇を経験した。全国社会人大会7連覇に貢献した神戸製鋼では、主将が主体の外国チームにならい監督制を廃止。主将を中心に「練習プランの作成や選手のリクルートと全てやった」(平尾さん)ことも「岡イズム」に通じるものがあった。
30代で日本代表監督に就任すると映像やデータを駆使して対戦相手を分析。史上初の外国人主将としてアンドリュー・マコーミックを就かせるなど積極的に外国人選手を登用した。いずれもそれまでの日本ラグビー界の常識にはなかったことだ。ニュージーランド出身のリーチ・マイケルが主将を務め、主将を含むリーダーグループがチームを引っ張るようジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)が仕向けた現在の日本代表と重なるチームづくり。今大会での日本の快進撃から、改めて平尾さんの先見性がうかがえた。
ジョセフ氏の選手時代に日本代表に呼んだのが当時監督の平尾さんなら、同大時代からの盟友、土田雅人氏とともにジョセフHC就任への流れをつくったのも平尾さん。W杯招致に尽力し、志半ばで逝ったミスターの思いは、確実に今の日本代表に息づいていた。
(合六謙二)