消費回復へ「コメ維新」 藤尾益雄・神明HD社長
未来像
■コメ卸最大手の神明ホールディングス(HD、神戸市)は祖業に縛られず、外食やコメ生産など食の川上から川下まで手掛けてきた。先導するのは創業4代目で社長の藤尾益雄さん(54)。6月に傘下の元気寿司と回転ずしチェーン最大手、あきんどスシローとの経営統合は断念したが、コメ消費拡大と農家支援の思いは変わらない。
1人当たりのコメ消費量はピークの半分以下に減った。耕作放棄地は富山県の面積とほぼ同じ。世の中に逆行するが、コメ消費を拡大していくことが水田文化を守るために重要になる。日本人にもっとお米を食べてもらいたい。
農業従事者の平均年齢は67歳で20年間で7歳上昇した。担い手がどんどん不足する。2020年は「お米未来塾」を立ち上げ、ネットで農業の手法や会計を手軽に学べるようにする。「もうかる農業」にしないと未来がない。
■1995年の阪神大震災を鮮明に覚えている。営業先だった神戸市長田区や兵庫区の米屋の85%が被災した。長田区は焼け野原となり、店を畳む人がいた。避難所に支援物資を配って回った。
避難所ではパンがまず届いた。当時は寒い冬。しばらくして温かいご飯の炊き出しが始まった。被災者から「パンでは元気がでない。ご飯を食べると元気が出る」との声を聞いた。お米の仕事は多くの人を救えると確信を持てた。
人工島の神戸ポートアイランドでは神戸大橋に亀裂が入り、孤島に。どうにか島内の神戸市立中央市民病院までお米を届けると、とても喜んでもらえた。お米がないとパニックになる。神明も営業所がぺしゃんこになったが、もう一度頑張り、おいしいお米を広めようと奮い立った。
■2007年に社長就任。しかし09年秋に急性骨髄性白血病を発症、緊急入院した。あと2~3週間発見が遅れていたら死んでいた。医者からは治癒の目安となる「5年生存率」が30%だと宣告された。
医者から勝率30%と聞き、思わず「ありがとうございます」と伝えた。今まで勝率が3割もある戦いをしてきた記憶がなかった。例えば1995年の食糧管理制度の廃止。地域ごとの流通規制が解かれ神明が兵庫県から全国展開する契機となった。沖縄県から北海道まで奔走が始まった。
誰もが「神明は負ける」と口をそろえた。当時、売上高で神明の約3倍の業界大手、大阪第一食糧(大阪市)とも競った。ダイエーやイオンの前身、ジャスコなどへ必死に営業。「勝率」さえ分からない中、事業を広げてきた経験があった。病気の「勝率」はメンタルに影響する。社長としてやり残しも多い。「私は勝ちます」。医者に伝えた。
退院後は当時放送されていたNHK大河ドラマ「龍馬伝」に共感し、従来の考えを脱却した「コメ維新」の必要性を胸に刻んだ。今生きられるのも、神明が100年続くのもお米のおかげ。コメ消費拡大と農業を守るチャレンジ精神に拍車がかかった。
■日本の農業全体の活性化に貢献しているとして、19年の関西財界セミナー賞の大賞に選ばれた。
食べ物への将来不安はなくすべきだ。世界人口は100億人を超えるかもしれない。食料危機が訪れる可能性もある。日本の食料自給率は37%だ。魚売り場では、米アラスカ産やチリ、インド洋など海外産が並ぶ。青果も同じだ。30年後も「神明のおかげでおいしい食事が並ぶ」と感謝される企業になる必要がある。
構想段階だが農業のテーマパークを地元・兵庫県につくりたい。家族旅行で立ち寄って、土に触れ、親子で思いっきり汗かいて、とれたての野菜を食べる。兵庫で採れる野菜やお米はおいしい。兵庫の良さを発信する場にもなる。(聞き手は沖永翔也)
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