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24年ぶりに挑む2度目の五輪 代表GKに託すもの

サッカーGK 下田崇(最終回)

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サッカーの五輪代表と日本代表でゴールキーパー(GK)コーチを務める下田崇(43)の指導者として始まりは小学生が相手だった。初めてのサッカー教室は走り回る子どもたちに教えることができず、ぼう然としてしまう。だがコーチになって6年後には東京五輪世代の代表コーチに選ばれる。今回は選手だった1996年アトランタ五輪から24年を経て指導者として東京五輪を迎える下田の心情をつづる。(前回は「Jリーグ広島で正GKに 五輪不出場の悔しさ生かす」

◇   ◇   ◇

下田崇は、ただ1人出場できなかったアトランタ五輪の悔しさを引退までの14年をかけて輝かしいキャリアに変えてみせた。J1リーグ通算288試合、J2では43試合に出場を果たし、うち3年にわたって118試合連続フルタイム出場やJ2でのPK阻止率100%の快挙を達成。最後は度重なるひざのケガに苦しみ、手術を境にしてレギュラーを離れたが、2010年の引退まで日本を代表するGKであり続けた。

クラブ入りから17年間、サンフレッチェ広島一筋で現役に幕を閉じ、指導者としても再び、広島からスタートを切る。引退時、GKコーチ就任オファーを受け、勉強のため地元小学生へのサッカー教室に参加した日の衝撃は、世界最高峰のワールドカップ(W杯)や五輪代表を指導する今でも決して忘れられないと振り返る。当時10歳だった長男が通う地元小学校からの依頼に、もちろん下田らしく、準備は入念過ぎるほど入念にして臨んだ。プロだから教えられる、子どもが相手だ、などと全く考えない真剣さで。

始まりはいつも壁の前から

「心して臨んだはずでしたが、子どもたちは元気に走り回っていて、話聞いてもらうのも一苦労、何をどう教えればいいのか、時間は過ぎるし焦りだけが……あの時、本当にぼう然と立ち尽くしていた自分の姿は今でも時々思い出すんです。あの子たちにとって、今日はサンフレッチェのゴールキーパーが来た、たったそれだけが思い出だったんじゃないかと、何だか恥ずかしくて。自分には何が足りないか思い知らされました」

オリンピックは出場できず、クラブでも第3GKからレギュラーにはい上がるのに時間がかかった。指導者デビューも、10歳の子どもたちを前に立ち尽くしてしまう。しかし始まりはいつも壁の前から――これが、下田が築くキャリアの、変わらぬ原点なのだろう。

11年にトップチームのコーチに就任し翌年には指導B級ライセンスを取得。GK専門のA級ライセンスも取るプロセスで、改めて監督というポジションの重み、戦術と同様、チームマネジメントで発揮される「監督力」をも感じるようにもなった。小学生を前にした自分に、足りなかった要素は何だったのか。その宿題を背負い、Jリーグのコーチとなって丸6年たった17年、東京五輪を目指す代表監督に森保一が就任し、GKコーチのオファーを受けた。戦術だけでも、技術を見るだけでもなく、選手のモチベーションを高める監督の姿に日々学んでいる。

世界の大舞台を経験させてくれた初めての監督、西野朗(64)とは22年間で、監督と選手、監督とコーチ、と異なる立場で2度も仕事をした。ハリルホジッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身、フランス籍)の解任という緊急事態にも、「選手の良さ、個性をいかにノビノビ発揮させるかを、少しも慌てずに見極めていた。22年たって改めて勉強しました」と、ロシアW杯での指揮官を表現する。

02年日韓W杯を目指し、五輪代表監督を兼任したトルシエ(フランス)に呼ばれた際には、日常生活にも細かく注意をする監督方針に触れた。06年のドイツW杯を目指したジーコ(ブラジル)にJ2から1人選出されると、トルシエとは反対に今度は自主性が尊重されるチームで難しさに直面する。それぞれの代表監督のマネジメントは、システムや戦術とはまた違う特色を表す。

下田は、現役時代の森保を後ろから見ているだけで、強い気持ちが湧いたという。現在は、日本サッカー史上かつて例がないほど国外でプレーをする選手が増えている。海外組と言っても所属するリーグは多国にわたり、また、五輪世代も選ばれ、A代表でのキャリアにも大きな幅がある。こうした状況下で代表を構成し、ひとつにするには過去とは違うマネジメント力が必要になる。

「監督、チームスタッフの任務はとてもシンプルです。試合を見て、評価して、代表に呼んで、時間を共有して練習、話をする。要求と宿題を与えて、また試合を見る。単純に見えるこの作業を、スタッフ、選手がどこまで丁寧に積み重ねていくかが、今の代表のベースになっていると思う」

見て、呼んで、練習を共にし、宿題を与えて、また見る。下田が言うようにシンプルだが、「誰を選ぶか」だけではなく、「どう選ぶか」を明確に示すのも、代表と五輪、両方の大きなグループをまとめる上で不可欠な手法だ。

GKに求める資質に、アトランタ五輪で一度も出番がなかった経験がにじむ。出番があろうがなかろうが、不測の事態が起きたときに万全で臨める準備を怠らない。高い緊張感を平常時にこそ自分にどう課せられるかが、理想のGK像に近づく一歩だ。だから、兄貴分的な存在になろうとはしない。ピッチを離れればそんな時間もあるが、若い世代とはむしろ距離を取り、緩い雰囲気で受ける何本ものシュートより、後がないと思ってキャッチングする1本の重さを伝えようとする。

ロシアW杯では、GKの魂ともいえるこの緊張感について、ベテランのプレーから改めて学んだという。18年5月21日、西野体制になって初めて選手が集まりロシアW杯に向かってスタートした日、GK最年長で大会中も先発を務めた川島永嗣(36)が、練習で1本目のボールを、まさに本番と同じ緊張感と気迫を持って止めに行った。直接話してはいなくとも、1本目からW杯に必要な全ての要素を持って止めて行ったのは明らかだった。準備のための準備ではなく、試合のための準備を常にする。

「1本の重みを体にたたき込んでほしい」

「若い選手にはそれを体にたたき込んでほしいんです」と期待を寄せる。かつて自分と川口能活がたたき込まれ、川島に現れる理想像に若い世代が気付き、追える。代表と五輪兼任の環境はプラスに作用する。

10月にホームにモンゴルを迎える22年W杯カタール大会2次予選では、Aマッチ90試合出場の川島、同13試合で30歳の権田修一、27歳のシュミット・ダニエルが選出され、10月、同時期に行われる五輪世代のブラジル遠征には大迫敬介(広島)、谷晃生(G大阪)が選ばれた。10月も活動が重なるため、ブラジル遠征には川口が帯同する。大迫や谷に、目指す東京五輪でどんなプレーをしてほしいか、コーチはすでに明確な姿を描いている。

「アトランタの時に、五輪世代でも、出場してもしなくても、強いメンタルをここまで持っていなければいけないというラインを知る貴重な機会をもらえたと思っています。だから、大迫たちにもそこは求めていきます。夢というか、実現したいと思っている目標のひとつは、地元のオリンピックで、GKに本当に堂々と、何も恐れずピッチに立ってほしいし、そうやって送り出したい。そしてもうひとつは……」

下田は小さく笑った。

「もうひとつは、息子の小学校で立ち往生したあの経験を生かし、今度は子どもたちにちゃんと指導をしてあげたい。代表で教えるのと同じかそれ以上に、子どもたちの未来に触れる指導は難しいですね。だからこそ……」

日本が28年ぶりに世界の舞台に復帰を果たしたアトランタ五輪から24年後の2020年、出場できなかった悔しさ、ベンチで見ていた光景をすべて結実させる「2度目のオリンピック」が44歳に巡ってくる。

=敬称略、この項終わり

(スポーツライター 増島みどり)

下田崇
 1975年、広島市生まれ。小さいころは野球少年だったが、兄の影響で小学4年生でサッカーに転向し、ミッドフィルダーやフォワードでプレーする。広島皆実高校に入学後、監督の勧めで本格的にゴールキーパー(GK)を始める。94年、サンフレッチェ広島に入団。96年のアトランタ五輪代表に選ばれるも、川口能活氏の控えで出場はなかった。的確な判断と安定したプレーが特徴で、日本代表では98年から2006年まで、トルシエ監督、ジーコ監督に招集された。広島では98年から長期間、「GK王国」と呼ばれるチームで正GKとしてゴールマウスを守り続ける。特にJ2に降格した2003年シーズンにはPK阻止率100%という快挙を成し遂げ、1年でのJ1復帰に貢献する。10年シーズン終了後に引退。リーグ戦の出場はJ1が288試合、J2は43試合。広島のGKコーチを経て、17年12月、東京五輪代表世代のGKコーチに就任、18年4月からは日本代表GKコーチも兼任している。
増島みどり
 1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる18年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師。

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