観光の大阪、送客の度量あってこそ 溝畑宏さん
未来像 大阪観光局理事長
■訪日外国人客数が年間1100万人を突破した大阪で観光政策の指揮を執る元観光庁長官の溝畑宏さん(59)。「世界で突き抜けた観光都市」を目指す背景には、父親の教えや京都の風土があった。
生まれは京都市。京都大教授だった父は「数学の世界で日本の中心は京都」と話し、京都から世界へという意識が強かった。幼い僕に地球儀を見せ、「常に世界の中で立ち位置を高めなさい」と語った。
土地柄もある。東の東京に対し、「京都が歴史の中心」という誇りを強烈に持っていた。けれど進学先に東京大を選んだのは、一度は首都東京を体験してみたいと思ったから。本音を言えば京都大には父が居て悪いことはできないので、親元を離れて遊びたい気持ちがあった。
官僚になったのは、訪問した自治省の先輩の言葉が決め手だった。「一極集中の日本でいいのか。地域が活力をもって切磋琢磨(せっさたくま)する日本を作らないといけないんじゃないか」。地元を誇りに思う僕の胸に響いた。
■自治省に入省し、出向先の大分県で2002年の日韓ワールドカップ(W杯)の試合を誘致した。退官後はサッカー球団の社長を務め、Jリーグ杯優勝を果たした。当時の経験が観光政策に携わる原点となった。
入省後は地方財政などの制度づくりを担当。1990年に大分県に出向し、取り組んだのがW杯誘致だった。同年にイタリアにいた両親から誘われ、W杯を見に行った。人口20万人のベローナ市の職員が「W杯を国際都市に変わる起爆剤にしたい」と言うのを聞き、これだと思った。当時、日本の人口の約1%しかない大分県が「ローカルからグローバル」に挑戦すれば、他の都市にも波及すると考えた。
W杯試合の誘致に際し、外国を訪れて気づいたのはどの国も観光を成長産業に据えて力を入れていることだった。大分県でも観光課を増員し、知事直轄に引き上げた。大分空港を国際化し、上海便やソウル便を就航。インバウンド(訪日外国人客)受け入れを国に先駆けて強化した。
退官後はJリーグの「大分トリニータ」の社長に転身。8000人訪れる浦和レッズのサポーターのほとんどは日帰りか、福岡に向かうのが悔しかった。スポーツを観光に結びつけるスポーツツーリズムの観点で、地元でお金を使ってもらう工夫をした。球団経営はお客さんの集客が肝。お客さんを満足させる経験が僕の観光の原点になった。
■10年から観光庁長官を務め、15年には大阪観光局の理事長に就任。大阪が目指すべきは「西日本の玄関口」だという。
今後の課題は、旅客1人当たり支出を増やすことだ。訪日客のほとんどは年収500万円以下のミドル層。超富裕層を呼び込むには、入国からビザまで特別扱いが必要だ。日本の平等なカルチャーとは相いれないが、市民の理解が必要だ。
観光は地域づくりや経済政策と常にリンクしている。地域住民の安心や快適が損なわれたり、協力なく進めたりしてはいけない。観光業の待遇改善も急がないと、持続的ではない。
大阪は「西日本の玄関口」を目指すべきだ。かつて「天下の台所」として繁栄したのは、日本中の海産物が集まり、良いものがそろったから。大阪だけが良いという視点ではダメで、奈良や和歌山、四国など周辺地域も巻き込むことが重要。ドイツのゲーテ街道のように、大阪を起点に西日本各地に送客していろんな体験をしてもらう。大阪に行けば日本中の良いものを経験できる。真の国際観光都市になるためには、こうした度量や包容力をもつこと。これが大阪が目指すべきゴールだ。(聞き手は安田龍也)
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