「試合を動かせる楽しさ」生涯捕手貫いた巨人・阿部
編集委員 篠山正幸
自身が「サプライズ的に決断したところがあった」と明かすくらいだから、巨人・阿部慎之助の現役引退には、何かの弾みのような要素がからんでいたのかもしれない。もちろん、引退は選手にとって最大の決断。降って湧いたような決断といっても、そこには極めてのっぴきならないものがあったと見ざるを得ない。
■「キャッチャーで終われたら」
まだまだできるのに……。そんな感情を抱かせながら辞める選手は少なくないが、阿部は近ごろではもっとも惜しまれて辞める選手の代表格、ということになるのではないか。
本拠地、東京ドームのファンへの引退報告の場となった9月27日のDeNA戦での今季7号(通算406号)や、優勝決定シリーズとなった横浜スタジアムの同カードでみせた、岡本和真も飛ばせないような勢いのファウルなどをみても、今季限りで辞める人のスイングとは思えなかった。
一時代を築いた選手は近年、引退を早めに予告するようになった。あらかじめ引退の意思を公表することで、最後の勇姿をファンの目に焼き付けてもらいたい、という選手の要望もあるようだ。
球団としても、スター選手に関しては関連グッズの売り上げも見込めるために、一定の告知期間があった方が好都合だろう。
だが、阿部の場合はそうした要素を切り離し、一個人として、このままグラウンドに立ち続けるべきか否か、という観点でのみ、意思を決定した形跡がうかがえる。それが唐突な、いささか潔すぎるともいえる引き際をもたらしたようにもみえる。
近年は一塁や代打での起用が多かった。9月25日の引退会見では「ここ数年は代打で(起用され)、その声援が身震いするくらいで、自分でも感動させてもらった。それがあってこそ、よーしって気持ちにもなれたし、感謝している」と語った。代打に生きがいを感じていたようだ。
では、何が引退決断の契機になったのか、と考えていくと、捕手への思いに行き当たる。
今季、原辰徳監督の復帰に際し、阿部は捕手復帰を願い出た。
その思いを昨年11月の契約更改の席で、次のように明かしている。
「(2018年シーズンが)広島とのCS(クライマックス・シリーズ)で終わって、たくさんの引退する選手を間近に見てきて、自分にもいつか(引退のときが)くる、と思った。そう考えて、このまま終わったら悔いが残るんじゃないかと。(捕手は)4年ぶりなんで、正直、どうなるのかなと、不安いっぱいだが……。自分のわがままになるが、キャッチャーで終われたら、という思いがある」
そこまで捕手に執着するわけについて「試合をすべて動かせるという楽しさがある。そこをどうするかが、一番難しいんだけれど、そういうことができるっていう……。ファーストだと、それがなかなかできないし、やっぱりそういう魅力が(捕手には)ある」とも語ったのだった。
一塁線と三塁線が交わる本塁は「目ぬき通りの交差点」といえるだろう。入れ代わり立ち代わりやってくる打者たちの一塁への出発点となり、走者が帰着するターミナルとなり、ボールとバットが衝突する(あるいは衝突しない)"事故"の現場となる。
このポジションの面白さについては歴代の名捕手が語っているように、一度経験したらやめられない、という魔力があるようだ。
横浜(現DeNA)、中日で活躍し、3021試合のプロ野球最多出場記録を持つ谷繁元信さんは、捕手の理想はシーズンの全試合、一人でマスクをかぶること、と話していたものだ。なぜかというと「1年間を考えて(配球などを)組み立てていけるから」。1試合というのでなく、今ならシーズン143試合という大河ドラマの脚本家になれるわけだ。
この「捕手単独制」の是非を、楽天を率いていたころの梨田昌孝監督にぶつけてみたことがあった。梨田監督はそれはそうかもしれないが、としたうえで「負け越しているチームで一人の捕手が務め続けるのはおかしい」と語った。嶋基宏に代えて足立祐一らを登用し始めた時期のことだった。
自らも球界を代表する捕手だった梨田さんの捕手というポジションに対する自負がうかがえるコメントで、捕手は勝敗のカギを握っており、おのずとその責任も重くなるのだ、という意味が込められていた。
■「正解がない」捕手の魅力
投手ではあまり聞かないが、野手には「生まれ変わったら捕手をやりたい」という選手が少なくない。2016年に亡くなった豊田泰光さんもその一人で、捕手ほど野球が見えるポジションはない、と語っていた。花形ポジションの一つである遊撃を務めた人が言うのだから、よほどのことに違いないと思ったものだ。
ケガは多いし、相手を抑えたら投手の功、打たれたら捕手の咎(とが)となりがちで、決して割のいい商売とも思えない。にもかかわらず、捕手というポジションには人をとりこにする魔力がある。
阿部もその魔力に取りつかれた選手の一人だったのかもしれない。
野球の魅力について問われ、阿部は引退会見でこう語った。
「うーん、正解がないところかな。配球であったり、打ち方であったり、作戦であったり、すべてにおいて正解がない。そういうスポーツ。まあ、スポーツ全般にそういえるかもしれないけれど、野球は一番それじゃないかな、と思っている」
正解のないポジションの最たるものが捕手で、そこに最たる魅力を感じていたのではないだろうか。
引き際を意識しつつ臨んだ今季、あえて捕手に回帰した。出場は27日のDeNA戦、優勝決定後の1試合にとどまったが、捕手として辞められることが「今季限り」の判断材料の一つになった、と考えられなくもない。
ファンが惜しみ、チームにとっても打者としての阿部を欠くのは大きな損失となる。だが、本人がサプライズの意思決定だったとする引退は、「捕手阿部」が持っていた意味の大きさを考えれば、ごく納得できるタイミングでの決断だったようにも思われる。