米欧以外のゴルファー続々 フィンチェム氏の先見性
ゴルフジャーナリスト ジム・マッケイブ
今季開幕2戦の結果は、2016年限りで退任したティム・フィンチェム前PGAツアーコミッショナーに、先見の明があったことを証明した。
遡ること25年。1994年9月、第1回プレジデンツカップ(欧州を除く世界選抜対米国選抜の対抗戦)が、バージニア州ゲインズビルにあるロバート・トレント・ジョーンズGCで行われた。それは当時、コミッショナーに就任したばかりのフィンチェム氏の肝いりで始まったイベントだった。
■就任前からグローバル化を意識
その頃、国際的なチームイベントといえば、米国選抜と欧州選抜による対抗戦「ライダーカップ」が、唯一無二の存在といえた。もちろん、グローバル化に一役買っていたが、フィンチェム氏は、コミッショナー就任前から、ゴルフにはもっと大きなポテンシャルがあり、さらなるグローバル化が可能だと考えていた。
例えば、当時はジンバブエのニック・プライス、オーストラリアのグレッグ・ノーマン、南アフリカのアーニー・エルス、フィジーのビジェイ・シンらが活躍していたが、彼らにはライダーカップへの出場資格がない。プライスやノーマンの露出次第では、アフリカやオーストラリアでさらにゴルフファンが増えるはず。将来的には南アメリカも有望ではないか――。そもそもライダーカップは2大陸の選手に限定された大会でもあり、その点でもフィンチェム氏は将来的に足かせとなるのでは、という懸念を持っていた。
そんな中、プライス、ノーマンらの受け皿として、いや、それ以上に将来を見据えてフィンチェム氏が考案したのが、プレジデンツカップだった。当時はまだ世界代表といっても、米国代表を脅かすほど層が厚かったわけではないが、フィンチェム氏は信じたのだ、その時が来ることを。
ここで話を開幕2戦に戻す。開幕戦のミリタリートリビュート(ザ・オールドホワイトTPC)では、チリ出身のホアキン・ニーマンが通算21アンダーをマークし、6打差で快勝した。
2戦目のサンダーソンファームズ選手権(CCオブジャクソン)では、コロンビア出身のセバスチャン・ムニョスが、韓国のイム・ソンジェをプレーオフで下した。3位にも韓国のアン・ビョンフン、4位タイにはメキシコのカルロス・オルティスが食い込んでおり、ズラリと、インターナショナル選手が上位を占めた。
もはや、欧州と米国以外には一握りのスター選手しかいない、という時代ではない。こうして次々と若い選手が出てくる。そんな状況にフィンチェム氏は今ごろ、ニンマリしているのではないか。
94年の第1回プレジデンツカップに出場した世界選抜チームは、ノーマンの他、スティーブ・エルキントン、クレイグ・パリー、ロバート・アレンビーら多くがオーストラリア出身の選手だった。25年後……オーストラリアの選手は今も層の厚さを感じさせるが、今や、アジアや南アメリカの選手らも、プレジデンツカップへの出場をアピールしている。
■プレジデンツカップ出場狙う多彩な若手
先ほど紹介したニーマンはまだ20歳だ。同世代のスター候補、ビクター・ホブランド(ノルウェー)、コリン・モリカワ、マシュー・ウルフ(ともに米国)、イム・ソンジェらよりも少し抜けており、これまで44試合に出場し、トップ10が9回という実績を誇る。今年12月に行われるプレジデンツカップには、キャプテンのアーニー・エルスによる推薦で出場するかもしれない。
そのキャプテン推薦枠は4つだが、その椅子を巡ってアルゼンチンのエミリオ・グリッロ、カナダのアダム・ハドウィン、南アフリカのディラン・フリッテリとブランデン・グレイス、ベネズエラのジョナサン・べガスら、すでにPGAツアーで勝利を挙げたことのある選手らがしのぎを削る。
さらに、タイのキラデク・アフィバーンラト、南アフリカのジャスティン・ハーディング、日本の今平周吾らも虎視眈々(たんたん)とスポットを狙っており、96年の第2回大会から、8大会に出場実績のあるエルスもまた、そうしたタレントの豊富さに、時代の変化を感じているのではないか。
彼らがプレジデンツカップで米国代表を倒すことができるかどうかはまた別の問題だが、少なくともフィンチェム氏の25年前の読みは、こうして現実のものとなっている。