渋野に負けじと衰えぬパット 谷口、シニア日本一
編集委員 串田孝義
勝って当然、といわれる勝負に当然のように勝つのはなかなか容易ではない。ラグビーのワールドカップの開幕戦、開催国として勝利を義務付けられていた日本代表のロシア戦も難しい立ち上がりを強いられていた。
22日まで埼玉県日高CCで行われたゴルフの日本シニアオープンを制し、日本オープン(2004、07年優勝)と両方のタイトルを獲得した谷口徹(51)の戦いもそうだった。昨年の日本プロ選手権を制して5年シードを得、いまも主戦場をレギュラーツアーに置く谷口をして「シニアでは絶対に勝たなきゃという重圧がすごい」と、疲労困憊(こんぱい)で言わしめた。
■「絶対勝たなきゃ」重圧を乗り越え
もっとも、すぐそのあとに谷口節がさく裂する。「シニアツアーは楽しい。すぐに優勝争いができるから」。とはいえ50歳でシニアデビュー戦となった昨年の日本シニアオープンはP・マークセン(タイ)に完敗の2位。2戦目となった今年6月のスターツシニアは63歳(当時)の倉本昌弘にプレーオフの末に逆転負けを喫してまたも2位。実のところ優勝争いはたやすくても勝ちきるのはシニアでもやっぱり難しいのだ。
「先輩方をみると、60歳代がちらほらいる。昔みたいなゴルフはできていなくても上位にいる。結構うまいし、勝負にかける情熱が半端じゃない。自分の10年後を想像してもとても及ばないんじゃないかとさえ思う。そんな人たちに勝つのは簡単じゃない」
今回は初日の66で飛び出し、一度も並ばれることなく首位を駆け抜けた完全優勝だったが、3日目の13番パー3でこの日初のボギーを打ってから、谷口のゴルフは強気の攻めから防戦一方へと追い込まれた。決勝ラウンドの2日間はともに72。予選の貯金を取り崩さぬように回るのが精いっぱいだった。
それでもレギュラー通算20勝の経験に裏付けされた勝負勘はさえていた。「粘り強く回って接戦に持ち込み、チャンスを絶対逃さないように」。最終日最終組をともにしたT・ウィラチャン(タイ)と1打差で迎えた11番パー5。ティーショットをバンカーに入れ、4オンだったがパーパットは2メートル強が残った。そこを決めて右拳をぐっと握ると、12番のパー、13番の5メートルのスネークラインを仕留めたバーディー、14番の3メートルをねじ込んだパーパットと立て続けにガッツポーズが飛び出した。この4ホールでリードは3打差へと広がった。
■日高で生きた「勝利のパット」
日高のおわんを伏せたようなグリーンの尾根にカップは切られた。強く打ち過ぎてカップを外せばそのままグリーンの外へと転がり落ちかねない。それが怖くて、日を重ねるうちにどんどんパットを打てなくなる選手が続出した。
「渋野(日向子)さんが全英女子オープンを勝ったときの最後のパット、強く打ったと言われているけれど、自分が若いころはもっと打っていたんじゃないか。(強く打つパッティングで)女子で負けたなという選手は大山志保さん」。51歳にしてなお20歳の女子選手に負けじ魂を燃やす、谷口流「勝利のパット」への執念は衰え知らず。レギュラーツアーの練習グリーンではそんな谷口にパットを見てもらおうと男子プロの若手が列をなすのはしばしばみられる光景だ。
日本オープン、日本シニアオープンと、日本ゴルフ協会(JGA)が主催するオープン2冠を達成したのは青木功、中嶋常幸に次ぐ史上3人目となる。今年の谷口は誰もなし遂げたことのない快挙への挑戦権も手にした。
10月の日本オープンの会場は福岡県古賀GC。総距離6797ヤード(パー71)は大会史上最長だった今回のシニアオープンよりもはるかに短い。九州屈指の難コースだということは重々承知の上で「距離が短いというだけでチャンスあるな、やりがいがあるなと思える。(古賀GCでの日本オープンに)過去2回出て全然うまくいかず、そんなに好きというわけでもないけれど、ショートゲームでやっつけたいなと」。
同一年のオープン両方制覇をめざす。そんな夢に挑めるのも「勝って当然」の難しい戦いをまずは制したからこそ。「いよいよシナリオが始まったね」。大阪・PL学園高時代は桑田真澄、清原和博の同級生。プロ野球のスターともなったKKコンビはとうに現役を退いたが、50代にしてなお第一線で頑張れるのもゴルフというスポーツならではだろう。