秀吉の伏見城、内堀幅は30メートル超か 京都
豊臣秀吉が築いた最初の「伏見城」(京都市伏見区、指月城)の内堀の幅が30メートル超だった可能性があることが分かったと京都市文化財保護課が20日、発表した。石はなかったが埋め立てた土を発見、堀の東端とみられる段差や、西端では石垣が見つかっていたことから幅を推測した。
担当者は「同じ京都の二条城の内堀は幅が約25メートル。大規模な造成が行われ、天下人だった秀吉の城にふさわしい堀を備えていたのだろう」としている。
秀吉は1592年、隠居所として屋敷を建て、その後改築して指月城とした。城は96年、慶長伏見地震により倒壊。97年に近くの木幡山に新たに城を築き、指月城があった付近や堀は武家屋敷になった。
発掘調査では、深さ3.3メートル以上の造成土を確認。これまでの調査結果も合わせ、堀を埋め立てた土と判断した。また埋め立て後に築かれた武家屋敷とみられる石垣の一部も発見された。〔共同〕