旧渋沢邸、青森から帰京へ 建築史の遺産、20年度移築
日本の資本主義の父と呼ばれる実業家で、新1万円札の肖像画に決まった渋沢栄一の旧邸が東京都江東区に帰郷する。和洋の様式を取り入れた建築史上の貴重な遺産とされ、戦後は蔵相公邸として通貨政策などを左右する場となった。現存する青森県六戸町では、2020年度と見込まれる移築に向け、解体作業が進んでいる。
旧渋沢邸は大手ゼネコン清水建設の2代当主である清水喜助が手掛け、純和風の2階建て住宅として1878年、現在の江東区永代に建てられた。1909年に港区三田に移築し、29年に洋館が増築された。
戦後の財政難により、栄一の孫で蔵相などを歴任した渋沢敬三が国に物納し、蔵相公邸として使われるようになった。71年に当時のニクソン米大統領が金とドルとの交換停止を発表したニクソン・ショックでは、当時の大蔵省幹部が極秘に集まり対応を練ったとされる。
その後は老朽化に伴い取り壊しも検討されたが、渋沢家に執事として仕えたことのある青森県の男性が国の払い下げを受け、91年から六戸町で保存している。2009年から昨年まで町の有形文化財に指定された。
バブル崩壊で男性が経営していた会社が破綻するなどして、旧邸の所有権は転々としたが、生みの親である清水建設が今年1月に取得した。移築先は同社の研究・研修施設で、敷地全体が完成するのは22年3月。同社は一般公開も計画している。
直前まで所有していた三沢奥入瀬観光開発(同県)で、町への移築時から関わった松山正晴さん(56)は「細部の造りや建材の選び方が素晴らしい。わが子を旅立たせるような少し寂しい気持ちだが、技術を持った人たちの手で長く維持される方が建物にとっても幸せだろう」と話す。
〔共同〕
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