三振・与四球・被安打…「マイナス記録」の味わい
編集委員 篠山正幸
投手としては与四球、打者としては三振が、野球で喜ばしくない記録の筆頭だろう。だが、こうした「マイナス」の記録に、選手の特徴が表れているケースが少なくない。三振や四球からみえてくる選手の味とは……。
改めて記すまでもなく、通算三振数の上位には歴代のスラッガーや名選手が名を連ねる。
1位・清原和博(西武など)1955個、2位・谷繁元信(横浜=現DeNAなど)1838個、3位・山崎武司(中日など)1715個、4位・秋山幸二(西武など)1712個、5位・金本知憲(広島など)1703個……(記録は昨季終了時点)。
これらの打者は三振もするけれど、本塁打を量産したり、チームとして絶対にはずせないという存在だったり、ということがいえる。これだけ三振ができるほどの打席数を得たこと自体、一流であったことのあかしだ。
■「三振に目をつぶってでも」との思い
この三振部門で、めざましい、といっては怒られるが、すごい記録を残しつつあるのがヤクルトの2年目、村上宗隆だ。チーム80試合目となった7月6日の中日戦で100三振に到達するなど、リーグトップを走り続け、9月14日のDeNA戦で1三振を加え、174個に。チームの先輩である岩村明憲が2004年にマークした173個のセ・リーグシーズン記録を更新した。
ちなみにプロ野球記録は1993年のラルフ・ブライアント(近鉄)で204個。これもすごい記録で、本塁打のシーズン記録より、破られにくいかもしれない。
本塁打か三振かというブライアントのバットに、当時の近鉄の首脳陣が一発逆転の夢を託したように、村上の記録も三振に目をつぶってでも打席に立たせたい、と首脳陣が思えばこその記録だ。
本塁打や打点部門での年少記録を更新し続ける村上はマイナス記録の面からみても、まぎれもない大器といえる。村上が立つ打席には常に、やるかやられるかの殺気が漂い、空振り三振に仕留めた投手も、一つ間違えばというスイングに、安堵よりは背筋が凍る思いを抱いているはずだ。
四球は投手の未熟さを示す代表的指標ともみられてきたが、これも投球スタイルにかかわることで、多い=悪、とも言い切れないようだ。
今季パ・リーグワーストの71個(以下記録は15日現在)の今井達也(西武)あたりはまだ3年目でもあり、技術的な難点が指摘されうるかもしれない。
一方、制球のいい今永昇太(DeNA)のような投手の場合、試合に勝つことに徹し、しなくていい勝負を避けた結果の四球が相当数含まれているとも想定される。今永は今季、50四球を与えている。一昨年の52個の自己ワーストに迫り、54個で並ぶクリス・ジョンソン(広島)と山口俊(巨人)に迫る。
だが、その中身を見ていくと、四球に防御率1位の秘密がありそうなことがわかってくる。
たとえば今季4勝目となった5月10日の広島戦。7回2失点の好投のカギは相手の4番、鈴木誠也との勝負を巧みに避けたことだった。昨年までの3年間で、27打数11安打の打率4割7厘と打たれている相手。最初の2打席はいずれも四球。2死無走者から四球を与えた四回の打席など、危ない橋は渡らない、という意思がうかがえた。
六回の第3打席は膝元の直球で、見逃し三振に仕留めた。だが、これは6-2と試合の形勢がはっきりしてからのこと。どうしても勝負しなければいけないところでは勝負しただろうし、抑える確率も低くはなかったはずだ。それだけに、無駄な勝負はしない、という安全第一の姿勢が際だった。
投手個人の体裁やメンツより、勝利第一でチームに奉仕するというエースの自覚がにじむ。
投手にとってのマイナス記録に被安打というのもある。この部門の"第一人者"だったのが、ヤクルト・石川雅規。03年から12年にかけて、計5度の被安打王になっている。低めの変化球でゴロを打たせ、それが野手の間に飛ぶか、凡ゴロになるか、という投球スタイル。
ごく大ざっぱな言い方をしてしまえば、間を抜けるゴロが1イニングに2本まではいいが、3本目を打たれたら失点、というきわどい均衡の上に、石川の勝負は成り立ってきた。
そんな投球スタイルに、今年は変化がみられる。ここまで119回1/3を投げ、被安打は113本。終わってみなければわからないが、投球回数より被安打が少ないのは石川としては珍しい。
今季初登板となった3月30日の阪神戦で5回3安打、6月5日の交流戦、対日本ハム戦で8回3安打、8月14日のDeNA戦で8回1安打。相手打線に有無を言わせない試合が目立つ。
プロ18年目、39歳にして、何か投球の極意に到達したのではないか、とも思える充実ぶりだ。球威ではなく、技術によって投手はどこまで試合を支配することができるのか。被安打というマイナス記録がそんな興味をかき立ててくれる。
■今の選手、三振に恥じ入ることなく
その昔、三振や四球は「恥」とされていた。
日本のプロ野球で初めて通算1000三振に達した豊田泰光(西鉄=現西武など)が、三振数も人並み外れた域に達したら立派な記録なのだ、といって「千振会」という"顕彰組織"を立ち上げようとしたことがあったそうだ。もちろんシャレなのだが、入会の有資格者から、真面目に断られるばかりで、幻に終わった。
昭和のあたりまでは、日本社会を特徴付けるともいわれる「恥の文化」が、野球界にもあったことになるようだ。
村上も三振をよしとしているはずはないが、その屈託ないスイングからは、少なくとも三振を恥じ入る感じは伝わってこない。考えてみれば、努力した結果の失敗に関し、引け目を感じたり、過剰な自責の念にかられたりする必要はないわけで、今の選手が古い価値観から解放されつつあるとしたら、いいことだ。四球や三振などのマイナス記録から、日本人の意識の変化が垣間見える、とまでいったら大げさかもしれないが……。=敬称略