お皿の最後の1つ 「遠慮のかたまり」は関西流?
とことん調査隊
関西での飲み会で、友人がお皿に1つだけ残った唐揚げを箸でつかんで「遠慮のかたまりや!」と叫び、口を大きく開けてほお張った。意味が分からず尋ねると、大阪出身の友人は、お皿に1つだけ残された食べ物を「遠慮のかたまり」と呼ぶのだと教えてくれた。これまでこのような言葉は耳にしたことがなかったが、関西特有の方言なのだろうか。調べてみた。
まずは何人かの関西出身の友人に聞いてみた。冒頭の大阪の友人のほか、京都や兵庫、三重出身の友人も「地元では当たり前に使う」と口をそろえた。一方、鹿児島出身の筆者や地元の友人、関東圏の友人たちにはなじみがなかった。関西に特有といってよさそうだが、関西の方言に詳しい桃山学院大学の村中淑子教授(方言学)に尋ねると、「『遠慮のかたまり』が関西の方言であると示す調査はない」との答えが返ってきた。
京都出身の村中教授自身も「遠慮のかたまり」という言葉にはなじみがあるが、これが方言だという意識はなかったという。筆者の友人も、関西弁とは思っていなかったようで、意味を聞かれて驚いていた。「遠慮」も「かたまり」も単語でみると全国的に使う言葉であり、「飲み会などの限られた状況で使われる『遠慮のかたまり』は地域差に気がつきにくい方言なのではないか」(村中教授)。
方言に詳しい東京女子大学の篠崎晃一教授(社会言語学)も「関西圏で使われているのは確かだが、どこが中心でどの程度広がっているのかは分からない」と話す。「遠慮のかたまり」を使う地域や、いつから使われるようになったのかを特定するのは難しいようだ。
頭を抱えていると、篠崎教授は、「『遠慮のかたまり』のほかにも、地域によって様々な呼び方がある」と教えてくれた。青森県の津軽地方は「津軽衆」、それを勇気をもって食べる人を「津軽の英雄」と呼ぶという。関東では「関東の1つ残し」、熊本は「肥後のいっちょ残し」、佐賀は「佐賀んもんのいっちょ残し」といった具合だ。
一つ一つの呼び方には県民性も反映されているようだ。例えば「津軽衆」。津軽地方の人々は自分たちを「遠慮深い」と認識しており、そういう意味を込めて自らを「津軽衆」と呼んでいた。篠崎教授は「お皿に1つ残すのは遠慮深い人の行動という認識から、自分たちと重ねてユーモラスに『津軽衆』と表現したのではないか」と推察する。また、「関東の1つ残し」は「江戸っ子気質であえて1つ残し、お皿を空にしないことで見えを張っているという見方ができる」(篠崎教授)。
各地の呼び方をみると、最後に1つ残ったという状況を示す呼び方が多いのに対し、関西の「遠慮のかたまり」には「一人ひとりが遠慮をしたものが最後にまとまって残った」という意味が込められている。篠崎教授は「遠慮の象徴だと捉える感覚が関西らしい」と指摘する。
言葉は違えど、同じ意味を表す方言が全国各地に存在する背景は何だろうか。「遠慮のかたまり」が使われる場面を考えると、大皿で供された料理が1つだけ残ったときや、菓子折りに残った最後の1つを「『遠慮のかたまり』いただきます」と自ら口にしたり、あるいは「『遠慮のかたまり』食べてください」と人に勧めたりするときだ。篠崎教授は「何も言わずに最後の1つを食べるのは後ろめたいとする、礼儀を重んじる日本人の特性がある」とみる。言葉にすることで「最後の1つだと認識している」と周囲に示し、罪悪感をやわらげる効果が期待できるという。
さりげなく他者への配慮を示す「遠慮のかたまり」。うまく使えば、食事の席が和やかに、より楽しくなりそうだ。まずは筆者自身、次の飲み会では「『遠慮のかたまり』もらいます」と言ってみよう。
(札内僚)
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