障害者=パラ選手にあらず スポーツ以外にも注目を
マセソン美季
東京2020大会開催まで1年を切り、パラスポーツやパラアスリートに関するニュースや話題が格段に増えた。その影響か、活動的な障害者は「パラリンピックを目指す選手だ」と勘違いする人も多くなったと感じている。
私も駅や空港で、これまでにも増して「遠征ですか?」「試合頑張ってください」と声をかけられる。競技生活から引退したばかりのころ、同じようなことがよくあったが、「選手と間違われるぐらいなら、捨てたもんじゃない」と都合よくとらえていた。
でも最近は違和感を覚えている。パラリンピックをきっかけに、障害者差別の撤廃や、社会参加を推進しようという動きはあるものの、障害のある人たちが、スポーツ以外でも活躍する場面を想像できる人が少ないのではないだろうか。
米国留学を決めた時のことを思い出した。米国のパラ選手の中には航空管制官がいた。税関審査員、弁護士、会計士、警察犬訓練士など、選手らは様々な職に就いていた。「同じ車いすでも、こんなにいろいろな職をもてるのか」と驚いた。
交通事故で車いすユーザーになって以来、いつの間にか「車いすでもできる仕事」だけに関心が向き、自分が本来何をやりたかったのかなんて、すっかり忘れていたことを気づかせてくれた。米国では障害が理由で何らかの枠にはめられることはないし、創意工夫次第で可能性を広げられる。そんな生活は心地よかった。
メディアでのパラ報道は、卓越したアスリートたちの活躍に主眼を置いたものだから、伝えきれないことがあるのは重々承知している。しかし、例えば特集記事の企画をしたり、番組を制作したり、報道したりする側に、一体どれだけ障害当事者がいるのだろうか。
伝える側が画一的な視点しか持ち合わせていなければ、一様のイメージしか人々に行き渡らず、刷り込みが誘発されているのではないかと感じている。ただ障害者雇用数を増やすのではなく、いかに新しい分野で活躍してもらうかを、みんなで考える時代にもなってほしい。
1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。2016年から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。国際パラリンピック委員会(IPC)教育委員も務める。