柔道・斉藤、孤塁守る連覇 1988年ソウル五輪
1988年のソウル五輪で、日本柔道はかつてない危機を迎えていた。95キロ級まで6階級を終えて金メダルなし。64年東京五輪で柔道が競技入りしてから初となる屈辱を救ったのが95キロ超級に登場した斉藤仁だった。
山下泰裕が引退し最重量級の顔にはなっていたが、右膝を痛めた影響もありピークは過ぎたといわれていた。準決勝の相手は3年前の世界選手権で反則すれすれの強引な関節技で左肘を脱臼させられた地元の趙容徹。この1戦を判定でもぎ取ると、決勝のストール(東ドイツ)戦も警告勝ちでものにした。満身創痍(そうい)の体で豪快な柔道をかなぐり捨ててでも孤塁を守り「日本に帰れます」と男泣きした。
引退後は五輪金メダリストの鈴木桂治らを育て、代表監督も務めたが15年、54歳で死去。次男の立(たつる)は今年の全日本選手権に17歳で出場し、3回戦まで進んだ。両手を大きく広げて向かっていく父そっくりの姿が故人をしのばせ、将来の最重量級のエースとして期待を集めている。