足尾銅山観光 「日本一の鉱都」、光と影を知る
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江戸時代から銅の産地として日本の産業を支え、かつては「日本一の鉱都」とも呼ばれた足尾銅山。約400年かけて掘り進められた坑道の総延長は1234キロメートルにのぼり、現在はその一部が観光施設「足尾銅山観光」(栃木県日光市)になっている。坑内の採掘跡や展示をトロッコ列車などで巡り、江戸幕府や古河財閥による開発の歴史をたどることができる。
トロッコに乗り国指定史跡の「通洞坑」に入ると、年間を通じてセ氏10~13度というひんやりした空気に包まれる。「駅」で降り少し歩くと、各時代の採掘作業を再現した等身大の人形が並ぶ。幕府直轄の銅山として手掘りで採掘していた江戸時代、古河財閥の創始者、古河市兵衛が渋沢栄一の力を借りて銅山経営を近代化した明治時代などの坑内の様子を、音声も交えて伝える。
足尾の銅は江戸時代には日光東照宮や増上寺などに使用され、街は「足尾千軒」と呼ばれにぎわいをみせた。江戸末期には産出量が落ちたが、古河市兵衛が再生させ1890年ごろには日本の銅産出の4割を担った。
「足尾=古河という企業城下町。一家に1人か2人は古河勤めの人がいたくらいだ」。高橋明良管理事務所長は話す。
1973年に古河鉱業(現・古河機械金属)が銅山を閉じ、80年に当時の足尾町の運営によって足尾銅山観光が始まった。市町村合併で現在は日光市が運営する。年間30万人を超えたピーク時の客数からは減少したが、2018年は13万人が訪れた。
東照宮から車で30分程度と、周遊圏内だ。高橋所長は「日光観光にあわせて訪れる観光客や修学旅行生、環境学習で来る学生が多い」と話す。
足尾銅山は産業を支えた遺産である一方、田中正造の直訴事件などで知られる鉱毒事件や、煙害による森林破壊といった悲しい歴史も持つ。近くにある古河足尾歴史館には公害の資料も展示しており、殖産興業の光と影の両面を知ることができる。(松本萌)
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