「白い妖精」コマネチ満点 1976年モントリオール五輪
段違い平行棒をくるくる回り、平均台の上を跳びはねても手足のさばき、着地に寸分の狂いもない。電光掲示板に表示された、14歳のナディア・コマネチ(ルーマニア)の得点は「1.00」。運営側も満点を想定しておらず「10.00」が表示できなかった。五輪体操初の10点満点は少し間の抜けたものだった。
コマネチは大会を通じて7回の満点を記録して個人総合を含む金メダル3個、銀1、銅1のメダルを獲得。東西冷戦のまっただ中、白いレオタードとポニ-テール姿も愛らしい少女は「白い妖精」と呼ばれ、一躍、西側世界でも人気者となった。
80年モスクワ五輪でも金2を含む4つのメダルを獲得し、84年に引退。しばらく消息が西側には伝わってこなかったが、ベルリンの壁崩壊直後の89年、28歳になった妖精が亡命者として現れた。幼少期から教わったカロリー・コーチを追うように米国へ移り住んだ。カロリー氏は米国でも数々の五輪金メダリストを育てた。