4番打者たちの葛藤、時代遅れこそが新しい
編集委員 篠山正幸
筒香嘉智(DeNA)が2番を打ち、柱の投手でも六回まで投げれば「ご苦労さん」となる時代に、4番だの、エースだのといっても、むなしく響くだけかもしれない。総合力が問われる現在の野球のなかで、個人の比重は薄れる一方だが、4番、エースであろうとする気概は個性を生む源泉。「時代遅れ」が今、新鮮に映る。
西武・山川穂高は現在では少なくなった4番への強い思いを明言する選手の一人だが、8月11日のロッテ戦で、昨季から座り続けてきたポストを中村剛也に譲ることになった。
7月21日のシーズン88試合目で30号を放ち、今季の目標として公言している50発に向け、順調に飛ばしていた。
ところがその後、8月10日のロッテ戦までの15試合で2本塁打にとどまり、ブレーキがかかった。
打順組み替えの断を下した辻発彦監督は「気配がなかったので。調子が戻ってくればまた……」。気配とは復調の気配であり、ここぞの1本が出る気配のことでもあっただろう。
4番という打順に心血を注いできた打者の胸中はその過程を振り返れば、察してあまりある。
目標をあえて公言の山川
昨季、自主トレ段階から4番を狙うと言い続け、誰もが認める結果を残し、その座を手にした。
今季は50本を狙うと明言した。「公約違反」となるのを恐れ、具体的数字を語りたがらない選手がほとんどのなかで、これも異例だ。
沖縄出身の山川は「争い事が好きではない」という県民性を自覚しているという。他人を蹴落としてでも、という激しさとは無縁の人柄だ。目標を公言して、あえて自分にプレッシャーをかけ、違う自分を演じることで、成長のエネルギーにしている様子がうかがえる。
そのひたむきさを最も買っているのが、辻監督。山川を抜てきし、4番としての葛藤を見守りながら、ともに山坂を乗り越えてきた。4番からはずれることは本人も悔しかっただろうが、監督にとっても苦渋の決断だったはずだ。
「打てなかった、では済まない打順」と山川はよく口にする。いいときはそれが適度な緊張感を生むのだろうが、下降気味のときにはプレッシャーになりかねない。
何番であれ、チームに求められるところを打つだけ、という選手ばかりになった今、4番、4番と言い続け、自分を追い詰めて何の得があるのか、と思われるかもしれない。
だが、山川という打者は4番への執着で育ったような打者だ。4番への強烈な思いがそのまま、スイングの強さにつながっている。空振りですら、見るに値する個性がそこから生まれている。
次第に復調、量産ペースを取り戻してきた山川は8月31日には1試合2発で40号に到達。「4番中村」の打線が機能しており、すぐに、ということはないかもしれないが、4番復帰の準備は整いつつある。
4番というポストが、いかに人を育てるか。巨人の岡本和真をみても、よくわかる。2本塁打を放ち、7点差からの逆転勝ちをもたらしたヤクルト戦(8月9日、東京ドーム)のあと「(個人的には)まだ借金が多い」と話した。今季は思うように打てず、まだまだ貢献が足りないと考えている。4番としての重責を真正面から受け止めて、立ち向かっている人の言葉だ。
4番という打順が神聖視されたのはいったい、いつのころまでだろう。巨人・原辰徳監督が「巨人軍の4番打者には何人も侵すことができない聖域があった」との言葉を残してバットを置いたのは1995年のことだった。
聖域だった4番打者
落合博満(ロッテなど、79~98年)、清原和博(西武など、86~2008年)といったあたりまでは、4番からはずれたとか、復帰したといった話題が見出しになった。
それから徐々に、聖域色は薄れてきた。特に2番に最強打者をおくべきだ、といった戦略論が出始めたこの数年の変化には著しいものがある。
しかし、そんな時代だからこそ、4番への執着は新しく、貴重ではないか。
ロッテの井上晴哉も、4番という聖域の住人であろうとする打者の一人。その苦闘のなかで、また一つ階段を上りつつある。
昨季24本塁打で99打点を挙げた井上。今季は4番でスタートしたが、オープン戦から不調のままで、登録抹消。苦しいシーズンとなった。4月下旬に1軍に復帰して、再び4番を打ち始めたが、再び調子を落とし、その座をブランドン・レアードらに譲った。
山川のようには「4番」を口にしない井上だが、秘めた思いはあるに違いない。
「(4番に)戻れるかどうかはわからないが、自分のやる(べき)ことをしっかりやっていれば……」。そう語ったのは8月23日、ソフトバンク・千賀滉大から試合を決定付ける2ランを放ったあとだった。
打順については「あまり考えないようにしている」と話していた井上だが、この時点でどうやら井口資仁監督は腹を決めていたらしい。
24日、久しぶりに「4番井上」のオーダーが組まれた。25日には武田翔太からバックスクリーンへの先制ソロを放った。29日の楽天戦では延長十回、松井裕樹から決勝ソロ。フォロースルーで、後ろに倒れそうになるくらい、そっくり返るおなじみのフォーム。この姿をみると、6、7番にこういう打者がいては何だか収まりが悪いし、やはり井上には4番しかない、と思えてくる。
風車を巨人と見立てて、むなしい戦いに挑むドン・キホーテを人は笑う。だが、ドン・キホーテにしか演じられないドラマがある。こざかしく、無難に立ち回っていては決して得られないものを、山川や井上らはつかもうとしている。
個性を売るのがプロ野球
1番も2番も3番も同じというように、打順の「等価化」が進む。投手陣は9イニングをどうまかなうか、という考え方のもと、先発の重要性が薄まり、誰が投げるかより、どの順番で投げるかに主眼が置かれるようになってきた昨今。
誰が欠けても、チーム全体として安定したパフォーマンスを発揮できるようにするリスク管理の手法として、認めないわけにはいかないが「誰が出ても同じ結果」は、なし崩し的に、選手の「無名化」に拍車をかけかねない。果たしてそれは人の個性を売るプロ野球として、幸せな方向に向かっていることになるのか。山川らの戦いにはそんな問題提起が含まれている。