厚生労働相、「痛み」と「守り」の重責
政権人事を読む(9)
閣僚ポストで重要度が上がり続けているのは厚生労働相だ。2001年の省庁再編で厚生省と労働省を統合した巨大官庁を率い、社会保障関係費は国の一般歳出の55%を占める。年金、医療、介護、雇用など国民生活に身近な分野を担当し批判を受けることも多い。
安倍晋三首相は社会保障制度改革を今後の目玉に据える。7月の参院選後の記者会見で「最大の課題は少子高齢化への対応だ。すべての世代が安心できる社会保障へ改革を進める」と訴えた。年金と介護は年末、社会保障全体は来年に改革案を示すと記した。22年度から団塊の世代が75歳以上になり始め、給付が急増する。厚労相は負担増など「痛み」の検討が迫られる。
厚労省の前身のうち労働省は労働組合対策が最大の任務だった。労組の組織率が下がってくると、労相の役割も相対的に低下していった。
厚労相になる前、厚相は受益面を訴えるポストだった。高度成長期に自民党政権は社会保障を大幅に拡充し、厚相がその先頭に立ったからだ。池田勇人政権の1961年に国民皆年金・国民皆保険を実現すると、田中角栄政権の73年は「福祉元年」を合言葉に年金や医療に巨費を投じた。
73年の厚相は斎藤邦吉氏だ。医療費では70歳以上を無料化し、サラリーマン家族の自己負担を5割から3割に下げた。「月額5万円年金」を実現し、物価変動にあわせ年金を増やす物価スライド制を導入した。73年度の社会保障給付費は6.2兆円で前年度比26%増、74年度は44%も増えた。
斎藤氏はその後に厚相になった田中正巳、小沢辰男、橋本龍太郎の3氏とともに「社労族の4ボス」と呼ばれ、自民党の社会保障政策に影響力を振るった。官僚も日本医師会や野党との調整で頼った。各省庁に力を持つ「族議員」は建設、運輸、商工が有名だったが、社会保障予算が急増し社労族も目立つようになった。
橋本氏は元厚相の父・龍伍氏をならい、社会保障に力を入れた。党社会部会長などを経て大平正芳政権の78年に41歳で厚相に就任した。昭和ふた桁生まれの初入閣だった。終戦直後、厚相は首相が兼任することもあったが、徐々に首相を生むポストになった。橋本氏のほか鈴木善幸、小泉純一郎、菅直人の各氏が厚相経験後に首相になった。安倍首相も厚相経験はないが橋本氏と同様に党社会部会長に就き、知見がある。
橋本氏や小泉氏が首相になった90年代後半以降、社会保障は厳しさが伴う分野になった。高齢化や財政悪化で予算の膨張が問題になってきたからだ。
合併で巨大予算を握った初代厚労相は自民党ではなく、公明党の坂口力氏だった。「福祉の党」を掲げた公明党もその後、厚労相は輩出していない。厚労省のガバナンスや年金問題などでたびたび野党に追及される。バラ色の未来や受益を訴えるより「痛み」や「守り」を強いられる。批判を受けて政権を左右する可能性もあるポストだ。