西武ひと筋・栗山、じっくり積んだ100号の味わい
編集委員 篠山正幸
18年間、プロ野球の西武ひと筋でプレーしてきた栗山巧(35)が通算100号に到達した。1本の本塁打より、2本、3本の安打の方がうれしいと話すが、ライオンズの伝統を受け継ぐチームの顔の記念碑には、やはり味わい深いものがある。(記録は18日現在)
8月11日のロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)。2-2の八回、左腕、松永昂大の初球をたたいた打球が、右中間への決勝2ランとなった。この日、山川穂高に代わって4番に入った中村剛也が、2死から四球を選んで生まれた好機。相手にとってもダメージの大きい一撃だった。
2005年4月13日のプロ1号は日本ハムの鎌倉健投手からだった。「スライダーだった。今日のような右中間への打球だったと思う」。以来1814試合をかけての100号となった。
要した試合数では横浜(現DeNA)、広島でプレーした石井琢朗・現ヤクルトコーチの2202試合に次ぐ、史上2位のスロー記録となった。02年のプロ入りから起算すると、18年をかけての3桁到達だ。
強豪、兵庫・育英高で1年生のときからレギュラーだったという栗山は01年のドラフト4位で指名を受け、入団3年目の04年のシーズン最終戦でデビューした。
初めて規定打席に達した08年、片岡治大(現巨人コーチ)、中島宏之(現巨人)らとともにリーグ優勝、日本一を勝ち取った。その優勝メンバーが一人、また一人と去っていくなか、豪打の中村と好対照をなす巧打で、西武の屋台骨を支えてきた。
昨年は08年以来のリーグ優勝を果たしたものの、クライマックスシリーズでソフトバンクに敗れ、日本一の夢を断たれた。後輩たちとともに、もう一度頂点に立ちたいという思いが、クラッチヒッターの「ここぞ」での執念を生んでいる。
栗山の打者としての怖さは選球眼など総合的な部分にあって、その特長として、本塁打より通算859四球という数字を挙げるべきかもしれない。これは四球王にもなっている中村の695個を上回っている。
■稲尾さん譲りの言葉「善敗己由」
ホームラン打者ではない栗山にとって、100号という数字はさほど重いものではないかもしれず、安打を何本も打つ方がうれしい、というのもわかる。100号のスロー記録だとかいわれても、どう反応していいのやら、といったところだろう。
だが、栗山には入団前から、ライオンズとのちょっとした縁があり、そのユニホームをまとい続けた結果の区切りの1本という意味では、感慨深いものがあるのではないか。
「善敗己由」(ぜんぱいおのれによる)という言葉がある。中国の古典に由来するもので、いいことも悪いことも、原因は自分にある、という意味らしい。不断の努力の貴さを教えるものでもあるだろう。
栗山が大切にしているこの言葉は、ライオンズの大先輩である鉄腕、稲尾和久さん譲りのものだ。
子供のころ、父親が稲尾さんから「巧君へ」としてもらってきた色紙に書いてあったという。
1956年からの3年連続日本一など、一時代を築いた前身の西鉄ライオンズ、そしてそのエースだった稲尾さん。その縁に導かれるようにして入団した西武で積み重ねた100本。その一本一本が、先達の哲学を受け継ぎ、新たな歴史をつむぐものだったと考えれば、むしろ年月と打席数をかけて、じっくり積み上げたところに値打ちがある、ともいえる。
通算安打は1798本。2000安打については「まだまだ先。『目標』(といえるくらい)になるよう、ヒットを積み重ねたい」と話した。先はまだ長いが、ライオンズのユニホームだけを着続けた打者として初の2000本達成にも期待したい。
1985年東北大卒、日本経済新聞社入社。主に運動部に在籍し、プロ野球を中心に取材歴35年。本紙朝刊にコラム「逆風順風」、電子版に「勝負はこれから」を連載。著書に「プロ野球 心にしみる80の名言」(ベースボール・マガジン社)「プロ野球 平成名勝負」(日本経済新聞社)。共著、監修本に「プロ野球よ」「そこまでやるか」(ともに日本経済新聞社)など。現職は編集委員カバージャンル
経歴
活動実績
2021年11月17日
日経STUDYUMウェビナーで「強さの秘訣、ここにあり!野球から学ぶ組織力」と題し講演
2016年11月
テレビ北海道情報番組に出演。「日本ハムの新球場への期待」を解説