「8・15」戦没者追悼式、令和時代のあり方は
74回目の「終戦の日」の15日、日本武道館(東京・千代田)では令和最初の全国戦没者追悼式が開かれた。追悼式は日本が連合国の占領下から主権を回復した後、遺族の悲願として始まり、1963年から8月15日に開かれるようになった。戦禍を直接知る世代が減るなか「形骸化することのないよう、追悼式を位置づけ直す必要がある」との声も出ている。
「雰囲気がずいぶん様変わりした。世代交代がどんどん進むのを感じる」。日本法制史が専門の所功・京都産業大名誉教授(77)は父を南太平洋のソロモン諸島で失った。遺族として追悼式に40年以上欠かさず出席している。
所さんは「平成の初期までは戦没者の親世代もおり、会場は同じ時代に同じ経験をした者にしか分からない強い感情に包まれていた」と振り返り「追悼式が一般の人々の理解や共感を得ながら、昭和から途切れず続いてきたことは意義深い」と語った。
長崎市の高校2年、浦山花絵さん(16)は海軍に所属した夫を失った曽祖母(97)に代わり、今年初めて参列した。浦山さんは「戦争を知る人たちと交流できる機会は少ない。若い世代が式典への出席などを通じて戦争について学ばなければ」と話した。
今年参列を予定した遺族の続柄別では、昭和期に過半を占めた「戦没者の妻」は5人にまで減少した。子が51%、孫が8.4%、ひ孫が2.6%と世代交代が進み、戦後生まれの遺族の割合は初めて3割に達した。
8月15日に定着した全国戦没者追悼式が初めて政府主催で開催されたのは、サンフランシスコ講和条約が発効し、主権が回復した直後の52年5月2日だった。新宿御苑で開かれ、昭和天皇と香淳皇后が出席した。
8月15日に開催されるようになったのは日比谷公会堂で開かれた63年から。翌64年は遺族の要望が強いなどとして靖国神社で開催された。政教分離の観点からの批判が強く、65年以降は日本武道館での開催が定着した。
追悼のあり方について、旧厚生省は20年以上前の97年の時点で「国民の意識も大きな変貌を遂げてきていることにかんがみ、改めて戦没者に対する慰霊のあり方を考える必要がある」(援護50年史)と言及している。
歴史社会学者の鈴木洋仁氏は「参列者で戦争を知る世代が少なくなり、追悼する側の『当事者性』が薄れている」と指摘。「時間の経過で追悼式の形骸化が進む懸念がある。国民が歴史と真摯に向き合いながら、8月15日の追悼式の新たな位置づけを模索する時期ではないだろうか」と話す。