日本代表・ジョセフHC 強豪国へ結束力が礎
ラグビーW杯 桜の頭脳たち(上)
一方にとっては悪夢、もう一方にはショーだった。1995年のラグビー・ワールドカップ(W杯)。日本はニュージーランド(NZ)と戦い、大会記録の145点を失った。歓喜に沸く相手の中に、現日本代表ヘッドコーチ(HC)のジェイミー・ジョセフがいた。
物足りないような表情が印象に残る。主力入りへアピールの場だったが、肉弾戦の激しさ、うまさを発揮する間もなく、味方がトライを重ねた。今、この日のことはほとんど口にしない。
闘志を燃やしにくい試合だったことが沈黙の一因なのかも。「ラグビー王国」の生まれだが、ラグビー人生では弱者の側にいる時間も長かった。
95年に来日、選んだのも創部2年目のサニックス。「弱いチームを強豪にしてほしい」という依頼に心が動いた。一線を退いたつもりが下克上を狙って戦ううち、胸の残り火が再燃した。「もう一度、トップレベルでやりたい」と、当時は可能だった2カ国目の代表ジャージーに袖を通すことに。4年前に倒した相手の一員として99年W杯に出場。全敗したが、FWの柱として奮闘した。
指導者の名声も番狂わせで手にした栄冠からだ。2015年、ハイランダーズの監督としてスーパーラグビー(SR)を制覇。最高経営責任者(CEO)のロジャー・クラークは「メンバーはベストでなかったのに優勝できた。ジョセフがチーム文化のつくり方を知っていたからだ」と話す。
13年、チームはNZ代表のスターを大量に補強。しかし、個人プレーに走った集団は最悪の14位に沈んだ。ジョセフは大物を次々と放出し、一からチームを作り直した。
「いい人間を集めることがカギだった」とクラーク。ジョセフはフォア・ザ・チームの精神のある選手を補強。さらに各人を様々なリーダーに任命し、自分たちでチームをつくるように仕向けた。「フィールド外での振る舞いを考える責任など各選手に役割を与えた」とジョセフ。クラークは「ジョセフは誰も欲しがらなかった若手を育てた。才能を見抜く目が卓越していた」と強調する。抜てきしたアーロン・スミスらは世界で一、二を争う選手に成長した。
SRの決勝の前。ジョセフは全員にカギを配ったという。「自信のない選手もいた。敗北を恐れず、力を発揮させるためだった」。試合前、選手が持ち寄ったカギをテープで一塊にして「扉を開けよう」と号令。一体となったチームは下馬評を覆し、初優勝した。
「ハイランダーズでの経験がジョセフのチームづくりの根底にある」。サニックス時代からの盟友、日本ラグビー協会強化副委員長・藤井雄一郎は言う。最優先するのは集団の結束。16年秋から率いる日本でも選手、コーチに献身を求める一方、信頼に欠けるとみたスタッフは外し、家族のような一体感をつくってきた。
「一塊のカギ」と同様の仕掛けも。スローガン「ワンチーム」の象徴として甲冑(かっちゅう)を用意。常にチームに同行させる。試合ごとのMVPの名を日本刀に刻む。「チーム愛が生まれる仕掛けを考えている」とジョセフは胸を張る。
9月、自国開催のW杯が始まる。かつてのハイランダーズと同じく、日本は格上を破らないと目標の8強入りは実現しない。決戦の日を前に、ジョセフは集団を再結集させる手を今から温めているのだろう。=敬称略
(谷口誠)
◇W杯に臨む日本代表のコーチやリーダーの横顔、手腕、本番に懸ける思いを描く。