メンソレータムとメンターム 定番塗り薬100年の秘史
時を刻む
キリスト教の伝道者であり、実業家や建築家でもあったウィリアム・メレル・ヴォーリズ。滋賀県近江八幡市を拠点に、旧近江八幡YMCA会館(同市)や神戸女学院大学(兵庫県西宮市)、旧居留地38番館(神戸市)など、設計した建物は今も健在で、その業績をしのぶことができる。実は家庭用常備薬でおなじみの塗り薬「メンソレータム」と「メンターム」もゆかりの商品。そこにはヴォーリズの特別な思いが込められている。
ヴォーリズはメンソレータムを考案した米国の実業家、アルバート・ハイドと旧知の間柄だったこともあり、日本での販売権を取得。1920年、近江セールズ(現近江兄弟社)を設立し販売を始めた。
■事業失敗で倒産
肌のトラブルに効くということが評判になり順調に販売を伸ばし、ライセンス生産も始めた。だが不動産事業の失敗で経営が行き詰まり、74年12月に事実上倒産。米メンソレータム社から契約解除を通告された。
メ社は新たな提携先として「和協努力」を社是にするロート製薬と交渉を開始。75年8月にロート製薬がメンソレータムの商標使用権を取得した。その後ロート製薬は88年にメ社を買収。メンソレータム事業は目薬、胃腸薬と並ぶ主力商品に成長していく。
一方、近江兄弟社は厳しい状況に直面した。販売の大半がメンソレータム関連商品。「99.9%再建は難しいと言われた」。同社の中塚正俊取締役は振り返る。「商標は失ったが、作る技術と設備は残った。会社を続けていくためにも新しい商品を作りだす必要があった」(中塚取締役)
問題は新たな商標。どのような名前で商品を出していくか。「以前、頭を悩まされていたことがヒントになった」(同)。メンスター、白色メンターム、緑メンターム、キングメンターム……。メンソレータムがヒット商品となった時、200種類以上の類似品がお目見えした。
「訴訟を起こしたが、当時の裁判ではメンタームとして一般的に定着しているため訴えは退けられた」(同)という。だったらメンタームは使えるのでは。ロート製薬との協議を重ねてワセリンの配合量などを変更し、75年9月に「メンタームS(現メンターム)」を製造し販売を開始した。営業力の強化などで90年3月期には債務も完済した。
■同人物がキャラ
メンソレータムとメンタームのトレードマーク「リトルナース」と「メンタームキッド」の関係も興味深い。リトルナースの登場は51年。デザイナーの今竹七郎氏がデザインした。近江兄弟社もメンタームS発売にあたり、新たなキャラクターを再び今竹氏に依頼。できあがったのが医術の神、アポロンをモチーフにしたキッドだった。
「前が女の子だったから男の子に。正面を向いていたから今度は横向きにと、独特のしゃれっ気を持ってデザインしてくれた」(中塚取締役)
今では互いに塗り薬からリップクリーム、日焼け止めなど総合スキンケアブランドに成長した。ドラッグストアではライバルでありながらも仲良くリトルナースとキッドが並んで販売される光景を目にする。日本に来て99年。曲折はあったが、そこからはヴォーリズが提唱した目的に向かって心を一つにする仲間、との思いが伝わってくる。
(橋立敬生)
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964年) 米カンザス州出身。1905年に滋賀県立商業高校(現八幡商業高校)の英語教師として来日。キリスト教の伝道者として活動する一方、実業家として建築、医療、製薬、教育などの分野で活躍。一柳満喜子と結婚し、41年に日本に帰化。一柳米来留(めれる)と名乗った。
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