笑いに来たらどうや! 吉本新喜劇 辻本茂雄さん
未来像
■関西のお笑いを代表する吉本新喜劇。辻本茂雄さん(54)は今年2月に長年務めた座長を勇退した。
中野浩一さんに憧れて競輪選手になるのが夢だった。18歳の時、家業のうどん店で使う鉢を買いに出かけた母を迎えに南海本線の尾崎駅(阪南市)に行く途中、交通事故に遭った。軽傷で済んだものの、右足に腫瘍が見つかり手術。1年ほど後の再検査で左足に腫瘍が見つかり、競輪の道は諦めざるを得なかった。
アルバイトしながら過ごしていたとき、母に付き添い、千日前道具屋筋商店街に鉢を買いに来た。吉本総合芸能学院(NSC)5期生募集のポスターを見て、お笑いの道に進もうと決めた。
新喜劇には漫才コンビの解散を経て1989年に入団した。顔の特徴から「あご本さん?」「辻本や!」といじられ役になったが、主役を務めたかったのでプロデューサーに「あごネタやめます」と訴えたら仕事がなくなった。
間寛平兄さんの営業で主役の方が出られず、自分にお鉢が回ってきた。寛平兄さんがいろんなところで「辻本、オモロイで」と言ってくださり、仕事が増えた。
■当たり役「茂造」も不動の人気を手にするまで時間がかかった。
「茂造」の初登場は95年ごろ、私が演じる年老いた博士と山田花子さんによる孫の話だった。手塚治虫先生の漫画キャラ『お茶の水博士』をモチーフにしたものだった。
20年以上前にテレビ放送をきっかけに東京に進出した。ただ、大阪ならではの新喜劇を演じられず、「大阪の色が濃すぎる」との理由で1年ほどでUターンさせられた。明石家さんまさんやダウンタウンさんの活躍により東京に関西弁が浸透していたから、大阪特有のお笑いも受け入れられると自信があった。本当に悔しかった。
幸い、上沼恵美子さん、やしきたかじんさんの番組に呼んでいただき仕事に恵まれた。たかじんさんから「茂造、大切にせいや」と応援していただいた。会社にも「集客など結果を出します」と訴え、茂造の芝居に力を入れて人気を定着させることができた。
■勇退を惜しむ声も聞かれたが、「茂造」主役の公演は続ける。2025年に開かれる国際博覧会など大阪の「宣伝役」にも意欲的だ。
大勢のファンの方から泣かれて戸惑った。「いやいや新喜劇を辞めるんじゃないですよ」と。お客様の反応が肌で感じられるから、劇場での芝居が好きだ。
テレビ出演が忙しかった時期より、劇場に集中した方が集客も良かった。芝居のエンディングなどで「なんてこった、パンナコッタ!」というギャグをお客様と叫ぶのも一体感を味わえるからだ。
よしもと祇園花月(京都市)、なんばグランド花月などで開く「茂造」シリーズの特別公演に力を入れる。通常公演が初日の前日、4時間ほどの稽古で約50分の芝居を演じるのに対し、特別公演は台本作成に数カ月かけ、1カ月程度稽古し、セットチェンジもある大掛かりな芝居だ。お客様のノリが良すぎて予定をオーバーすることもある。
入団したころの人気復活をかけた「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」から約30年を経て、北海道から九州・沖縄まで全国のお客さまが、なんばグランド花月などの劇場に来ていただけるようになったのは感慨深い。お笑いに地域差はないと思う。
大阪は万博など大きなイベントが控えている。泣きもあるし、笑いもある、お客様を飽きさせない芝居を演じたい。「笑いに来たらどうや!」の意気込みで臨むので、劇場に足を運び楽しんでいただけたらと思う。
(聞き手は苅谷直政)
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