独仏が土壇場で合意 内向き志向のバランス人事
【ロンドン=赤川省吾、ブリュッセル=竹内康雄】欧州連合(EU)が2日、今秋に任期満了を迎えるトップ人事を内定した。3日間にわたる首脳会議の終盤で独仏がようやく合意した。欧州委員長をドイツ、欧州中央銀行(ECB)総裁をフランスに割り振るというバランス人事に落ち着いた。ただ独仏が「密室」で決めたという印象は否めず、軽視された欧州議会では反発が広がる。なおEU人事は波乱含みだ。
6月30日夜に始まった会議は徹夜で議論してもまとまらずに7月1日昼にいったん散会した。翌2日午前11時に再開したが、再び紛糾し、結論がみえたのは2日夜のことだった。
マクロン仏大統領が2日夜、「能力、経験、バランスの面で言うことはない陣容だ」と自賛した人事案。特に難航したのはEUトップである欧州委員長の人選だ。
迷走の予兆は5月の欧州議会選にあった。最大勢力になった中道右派を率いるウェーバー欧州議員(独出身)が名乗りを上げ、メルケル独首相が後ろ盾になるとマクロン氏がかみついた。「政治経験が乏しい」。メルケル氏は「仏の意向に反することはしない」と引き下がった。
次に挙がったのは第2勢力の中道左派グループが推すティメルマンス欧州委第1副委員長。6月下旬の20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)に出席したトゥスクEU大統領、独仏スペイン、オランダの首脳がひそかに会合を重ね、合意した。
ところが大阪からブリュッセルに戻ると逆風が吹いていた。東欧の強権政治を批判してきたティメルマンス氏。「絶対に受け入れられない」(チェコのバビシュ首相)などと東欧4カ国が猛反発。EU執行部と大国の合意案を葬り去った。
決まらなければ7月15日に再び臨時首脳会議を開く――。会議は暗礁に乗り上げ、先送り案も浮かんだ。そんな土壇場で突如、独仏が合意する。「フォンデアライエン氏を欧州委員長、ラガルド氏をECB総裁」
実は欧州の政界関係者にとっては全くのサプライズではない。噂は年明けからあった。
「フォンデアライエン国防相か、アルトマイヤー経済相をEUに送り込む」。独与党内ではメルケル氏の信頼が厚く、フランス語に堪能な大物閣僚2人がEU首脳の「有力候補」とされていた。
仏政界でもフォンデアライエン氏のEU転身案は以前からささやかれていた。「欧州委員長はどうか」と持ちかけたのはマクロン氏だったと独紙ウェルトは報じる。
ひとまず独仏首脳は得点を稼いだ。自らの腹心を委員長に送り込んだメルケル氏は「欧州の女王」としてのメンツを保った。手ぶらでベルリンに戻れば政権の寿命を縮める恐れがあったが、それは避けられた。
しかもドイツ人がEUトップになるのは欧州経済共同体のハルシュタイン委員長(1958~67年)以来。戦争で欧州を荒廃させた反省を踏まえ、司令塔役から遠ざかるというのが戦後政治の基本指針だったが、それを完全に転換した。ドイツ政治にとっての「戦後」が名実ともに終わった。
一方でマクロン氏は欧州委員長とECB総裁に女性、43歳のベルギーのミシェル首相をEU大統領に充てる立役者になった。女性・若手を選び、新しい欧州をつくろうとしている――。そんなイメージを残せれば新鮮さをうたうマクロン氏にはプラスだ。
ぴったり息の合った独仏。最初からこの案が本命だったのではないかとの印象がぬぐえない。
実際、欧州の戦後史を振り返れば節目で必ず「独仏密約」が登場する。
例えばユーロ導入に伴ってECBが発足した際、仏は独が推すオランダ出身のドイセンベルク氏を初代総裁として認める一方、後任はフランス人のトリシェ氏にするという公然の秘密があった。
新しい欧州を切り開くにあたっての旧態依然で不透明な決定。不満はあちこちでくすぶる。欧州議会の環境会派のケラー議員は「密室での決定は異様だ」と切り捨てた。
次の関門は欧州議会だ。7月半ばにも「フォンデアライエン委員長」を認めるか採決する。「これから各国首脳が議会を説得する」とトゥスク現EU大統領は言うが、可決できるか政界関係者は固唾をのんで見守る。