W杯初開催 一色に染まれ 京産大ラグビー部ヘッドコーチ 元木由記雄さん
未来像
大阪府東大阪市出身で、通った市立英田(あかだ)中学校は全国で最も花園ラグビー場に近い中学だった。ただ、初めはラグビーをやる気持ちはなかった。テレビドラマ「スクール・ウォーズ」の影響で、不良少年を更生させるためのスポーツというイメージを持っていたから。中学ではテニス部に入ろうと思っていたが、先輩のラグビー部員の強い誘いを断れず、渋々入部することになった。
試合に出てみて驚いた。体が大きかったからか、ボールを持って走るとタックルをしにきた相手が面白いように吹っ飛んでいく。地域の選抜チームの一員として花園でプレーしたこともあり、競技の魅力にとりつかれていった。
大阪工大高(現常翔学園高)時代はウエートトレーニング器具一式を買い、ひたすら体を鍛えた。荒川博司監督に「ニュージーランドの選手は穴を掘っている。おまえもやれ」と言われ、河川敷に直径約3メートル、自分の背丈くらいの深さの穴を掘っては埋める鍛錬を毎日やった。
1989年1月、2年生で出場した全国高校大会の決勝の朝、昭和天皇が崩御。試合は中止され、対戦相手の茨城・茗渓学園高と両校優勝になった。荒川監督が「優勝は優勝。胸を張ろう」と話す中、3年生が泣いていたのが印象に残っている。次のシーズンは大阪府予選で敗退。前の年度に優勝したことでおごりがあったのだと思う。
神戸製鋼に入った1年目のワールド戦。主力の平尾誠二さんらが欠場した中で敗れ、国内公式戦の連勝記録が71で止まった。「とんでもないことをしてしまった」との思いから必死に練習し、年明けの全国社会人大会決勝と日本選手権で勝利に貢献。それぞれの大会で新日鉄釜石(現釜石シーウェイブス)に並ぶ7連覇を成し遂げた。
91年から4大会連続で出たW杯で特に印象深いのは2003年のスコットランド戦。11-32で敗れたものの、途中まで僅差で善戦した。
現在の日本代表のマインドが「どう世界に勝つか」であるのに対し、僕らの頃は「どうチャレンジしていくか」だった。外国出身選手が少なく体格面の不利が影響したのはもちろん、メンタルの面でも勝てない要素が大きかった。
大会のPRと競技の普及へ講演などをしている。強豪国でのみ開かれてきたW杯がアジア、しかも日本で行われるのは本当にすごいこと。国際統括団体のワールドラグビーとしても、国際サッカー連盟(FIFA)より少ない加盟国数を増やす狙いがあるはず。日本だけでなく世界にとっても重要な大会になる。
南アフリカやオーストラリアでW杯を経験したが、全国民がラグビー一色に染まるのがW杯。朝からパブでビール片手にラグビー談議に花を咲かせ、試合を見た後も飲んで、話してと一日中楽しんでいた。日本でもそんな雰囲気が生まれれば面白い。
日本代表がいい試合をして勝つことが注目を集める最良の道。ただし、大会後も考えるとトップリーグなどがより魅力的な大会になることが大切だ。京産大ヘッドコーチとしては、いい選手を育てて日本代表に送り込むことで日本ラグビー界の発展に貢献したい。関西大学リーグで優勝し、今季限りで勇退する大西健監督を胴上げしたい思いも強い。
(聞き手は合六謙二)
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