中嶋常幸(1)プロ生活45年
A・パーマーに憧れて 今年で65歳、後進育成にも力
コースは雨に煙っていた。2017年4月、米ペンシルベニア州ラトローブ・カントリークラブ。マスターズ・トーナメントの解説でジョージア州オーガスタに行く前週、私は前年9月に87歳で亡くなったゴルフ界の「キング」アーノルド・パーマーのホームコースを訪ねていた。
同CCは父・ディーコンさんがグリーンキーパーを務め、後にパーマーが買収したゴルフ場で、パーマーの亡きがらが上空からジェット機で散骨された。クラブハウスのレストランで、パーマーの好物だったミートローフを食べた私は、彼の片腕だった人に案内され、追悼の1打を打たせてもらった。「これを使っていいよ」と手渡されたのは、パーマーが愛用していたクラブ。憧れのスーパースターにささげる打球は、ナイスショットだった。
10歳でゴルフを始めた私は中学2年になるまで、ずっとパーマーのスイングをまねしていた。父の巌からは「何をしているんだ。ニクラウスのように打て」と叱られたが、雑誌やテレビ映像で見るパーマーは、何せカッコ良かった。体はきゅっと引き締まり、ズボンの裾をちょっと上げてクラブをワッグル、パーンと打つ姿にしびれた。
初めて一緒に回ったのはゴルフの聖地、セントアンドルーズ・オールドコースで開催された1978年7月の全英オープンだった。大会初出場ながら私は第3ラウンド途中まで好プレーを続けていた。しかし17番(パー4)で最初のパットが名物の「ロードバンカー」に転げ落ちて9打も費やし、優勝争いから脱落してしまった。「トミーズ・バンカー」と称されるようになった魔のホールで、私は失意のどん底に突き落とされた。
不幸中の幸いは、最終日の組み合わせがパーマーと同組だったこと。憧れの人は思った通りの素晴らしい選手で、前日の17番ホールの悪夢が払われた。握手をした手はグローブのように大きく、がっちりと力強かった。当時は50歳近く、何だか父親と回っている気がした。私にとって彼は「究極のプロゴルファー」だ。相手が大統領だろうと一般人だろうと、接し方は同じ。だからみんなに愛される。その姿を目に焼き付け、将来こんな選手になれるように頑張って行けたらと思った。千葉・成田市の自宅応接間には今も、オハイオの試合で2人で映った写真が飾ってある。サイン入りボールは、パーマーのものだけだ。
今年10月で65歳。家庭生活ではかわいい7人の孫から「じったん」と呼ばれ、目を細めている。プロ入りして45年間でツアー通算48勝、シニア5勝。マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの海外メジャー4大会全てでトップ10入りしているのは、松山英樹選手と私の2人だけで、ちょっとした"勲章"である。今年3月には日本プロゴルフ殿堂入りの式典があり、栄誉を受けた。
度重なる故障と加齢で体にガタがきて、出場試合数は減らしつつある。一方で、最近は「トミーアカデミー」で中高校生らを教えるのが面白くなり、選手活動とジュニア育成が五分五分になってきた。敬愛するパーマーの足元にも及ばないが、ゴルフ人生はまだ道半ば。これまでの歩みを振り返りながら、しっかり前に進んでいこうと思っている。
(プロゴルファー)
プロゴルファーの中嶋常幸さんはマスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの海外メジャー4大会全てでトップ10入りしています。厳しい父親の教育を交えながらゴルフ人生をたどります。