競馬ラジオ中継60年 残された貴重な「音」の歴史
私たち日経ラジオ社(ラジオNIKKEI)は、日本短波放送(後にラジオたんぱ)時代の1956(昭和31)年10月以来、60年以上にわたって競馬中継をお届けしてきました。放送を続ける中で、ここまで残してきた数々のレース実況は、時がたてばたつほど貴重な財産となっていきます。今回は、一体どれだけの音源が残っているのか、改めて整理しようと思い立ち、ラジオNIKKEIが紡いできた競馬の「音」の歴史を振り返ってみることにしました。
ラジオNIKKEIは中央競馬の10競馬場の全てで実況放送を行っています。東京本社は東京、中山、新潟、福島、函館、札幌の6カ所の模様をラジオNIKKEI第1で、大阪支社は京都、阪神、中京、小倉の4カ所の模様をラジオNIKKEI第2で、担当を分けて放送しています。筆者は現在、大阪支社に所属していて、社内で確認できるのは西日本4場の実況音源が中心となります。
放送開始以来のレース実況全てが残ってはいませんが、重賞レースを中心に膨大な量の音源が支社のロッカーに収められています。前記の通り56年に当時の第1放送で競馬中継を開始し、その9年後の65(昭和40)年4月、第2放送でも競馬中継が始まりました。つまり、基本的には同年以降の実況音源が残っていることになります。ここでは、第2放送が競馬中継を開始した日の冒頭アナウンスが約14分間保存されていますので、一部を文字で再現しましょう。4月3日の阪神競馬場。司会進行は当時の小坂巌アナウンサーです。
「北から南から、全国の競馬ファンの皆様、こんにちは。花曇りで迎えました大阪市郊外の阪神競馬場でございます。今日からこの日本短波放送の第2プロ(放送)を通じて、土曜、日曜、祝日の競馬開催日は、日本中央競馬会の提供により、熱戦の模様をお伝えしていくことになりました。よろしくご声援下さいますようお願いいたします。今年は全国的に花便りが遅れておりますが、ここ阪神競馬場名物の桜もまだつぼみが堅いようでございます。今日も風が冷たいスタンドでございます……」
この後、これまでに終わったレースの結果、第5レースの実況と解説、放送開始を記念しての日本中央競馬会常務理事のご挨拶と続き、音源は終わっています。今では第1レース前の朝から中継がスタートするのが当たり前になっていますが、当時は昼からの放送スタートでした。
■テープの残量目算、途中で録音切れも
そして、レース結果の中身を聴くと当時の第1レースが「けいが速歩競走」だったことが分かります。けいが速歩とは騎手が馬に乗らずけいが車(車輪のついたカゴ)に乗って競うもので、中央競馬では68年に廃止されました。これだけでも時代を感じさせます。けいが速歩の実況も残っていたら、もっと貴重だったのですが、残念ながらそれは一つも残っていませんでした。
古い音源が眠るロッカーを眺めていると、半世紀を超える数々のレース実況を様々なメディアで記録していることが分かります。今では小さなメディアに大容量のデータを記録できる時代ですが、逆に昭和の頃はまだ技術が進歩しておらず、大きなメディアに少しのデータしか記録できません。録音し保存する側の苦労も垣間見えます。まず目に留まるのがオープンリール式テープ。60年代から90年代辺りまでは、このテープに記録するのが主流でした。
60年代後半から70年代前半にかけては、重賞だけでなくオープン競走を記録したテープのほぼ毎週分が見つかり、丁寧な録音・記録作業がされていたことが分かります。直径約18センチサイズのオープンリール式テープを主に使っていましたが、かさばる上に1つに30分しか記録できないため、全レースを録音しようとすると膨大な量になります。そこで主要なレースだけを保存用に録音することになったと思われます。
一方、テープの残量を目算で測ったためか、録音が途中で切れてしまうケースもありました。73(昭和48)年、当時は年の最後の重賞だった阪神大賞典の実況が残り600メートルぐらいで途切れてしまっているのは何とも残念な一方、テープならではのアクシデントの痕跡ともいえます。
その後、70年代から80年代にかけては、重賞レースの実況録音が残っていたり、いなかったりと、まばらなケースが目立ちます。先輩アナウンサーによると、何もタイトルが書かれていないテープがゴミ箱に捨てられていたのを発見したことがあり、内容を確認すると重賞レースの実況が多数入っていて、慌てて保存し直したことがあったといいます。
あくまでも推測の域を出ませんが、管理のずさんな時代があったようです。発見されずに捨てられてしまった貴重な音源も多くあると思うと残念です。先ほどご紹介した第2放送の中継初日の音源も、埋もれていた中で偶然見つけた中の1つだそうです。
■デジタル化、アナログ世代には寂しさ
80年代からはカセットテープでの記録が始まりました。カセットなら片面60分1本で土日のレース実況を全て収録できます(1日12レースとして合計時間が50分余り)。しかも、かさばらない利点があります。90年代に入ると、カセットよりも音質が良く劣化も少ないDAT(デジタルオーディオテープ)での保存が主になりました。全レースの保存はこれらのメディアで、重賞レースに限りオープンリール式テープで保存するという時代がしばらく続きます。やがて重賞保存用はCDやMD(ミニディスク)へと役割が変わっていきます。
このように、全レースの録音が容易にできる時代に入ると、保存状況も安定していきます。少なくとも平成に入って以降、関西のレース実況はほとんど全て残っています。
現在、レース実況はCF(コンパクトフラッシュ)という縦約3.5センチ、横約4センチの小型カードで録音しています。容量は2ギガバイトなら1枚で約3時間収録できます。デジタルデータなので簡単に消去でき、繰り返し使用できます。保存方法はカードをパソコンに接続して、サーバーに取り込む形になります。サーバーはiTunesを使っていて、レース名や日付、勝ち馬、実況者などが書き込まれていれば簡単に検索できます。数年前には昭和時代からの古い実況もサーバーに保存し直し、重賞レースに関しては現存するほとんどの実況をすぐに引っ張り出せるようになりました。
昔は本社と支社の間でテープそのものを配送していたので時間がかかりましたが、現在はデータをメールに添付して一瞬で送信できます。記録メディアも小型化し、今や音源がテープやCDなどのように物の形で存在していないのは、アナログ世代からすると寂しい気もしますが、データは一瞬にして消えるという可能性もなきにしもあらずで、最近の音源にしてもバックアップ用にCDで別に保存する形を取っています。
まだまだサーバー上のデータ化がされていない音源も多くあります。古いテープが並んでいるのを見るとほほ笑ましくなる筆者からすると、まだまだデータ一辺倒の時代は来ないだろうと、つい安心してしまうのです。
(ラジオNIKKEIアナウンサー 米田元気)