新時代に壊したい パラアスリート取り巻くガラスの壁
マセソン美季
「令和」を表す手話は、片手を前に動かしながらすぼめた指を緩やかに開く動作で、「未来へ向けて花を咲かせる」様子を表現しているそうだ。
新しい元号に変わったころから、日本のパラスポーツを取り巻く現状について聞かれる機会が、今まで以上に急に多くなった。パラアスリートや、彼らに関する話題がメディアに露出する機会も確実に増えた。
学校に行けば、選手の名前を知っていたり、競技体験をしたと話したりする子どもも少なくない。私が競技をしていた20年前に比べ、知名度は着実にアップしている。
ただ、私は今のパラアスリートは、行き交う人々の関心を引きつけるために設けられたガラス張りショーウインドーに飾られた状態と感じている。活躍するアスリートはスポットライトを浴び、多くの人の目に触れる。だがショーウィンドーを眺める人と眺められる側の間にはまだ「ガラスの壁」が存在する。
お互いの姿を見ることはできても、言葉を交わしたり、心を通わせるまでには至っていない。障害者への先入観が邪魔をして、真の理解は深まらない。国際パラリンピック委員会(IPC)は、パラリンピックムーブメントの推進を通して、インクルーシブな社会を創出することを究極のゴールとするが、それを阻むガラスの壁がある。
ショーウインドーの前で「あれが欲しい」と駄々をこねるように、子どもたちは純粋に選手たちにあこがれ、壁を感じさせない。東京大会開催までの残されたわずかな時間に、大人たちの壁を撤去できればと願う。
レガシーについての質問も増えているが、私が目指す有形のレガシーは新しい単語をつくることだ。例えば現在、パラリンピックを意味する手話の単語は「車いす」と「五輪」を組み合わせて表現される。でも東京大会をきっかけに、新しい手話を生み出せないだろうか。
例えば「可能性を発見できる大会」という手の動きで、「パラリンピック」を意味することになるというように。新しい手話を広めたり、「障害者」の代替語を普及できないものか、とも考えている。
1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。2016年から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。国際パラリンピック委員会(IPC)教育委員も務める。