MAZDA誕生 出戻り2代目の才覚
松田家4代の100年(3)
「本当に野球が好きでしたね。カープの試合があると、仕事中でも片方の耳にイヤホンをしてずっと聴いている。部下の方が話しかけても上の空で『えっ、なんだ』と必ず聞き返していました」
東洋工業(現マツダ)の2代目社長、松田恒次(1895~1970年)の長女、本原幸(79)は父の思い出をこう語る。家では仕事の話は一切せず、寡黙で厳格な印象が強い恒次だったが、時折垣間見た経営者像はこんな愛嬌(あいきょう)のあるものだった。
社運かけたロータリーエンジン
「マツダのことは昔も今もまったく分かりません」と繰り返す幸だが、それでも彼女は、父と会社にとって歴史的な意味を持つ出来事の目撃者なのである。
1960年9月30日、東洋工業社長だった恒次はドイツの工学博士フェリックス・バンケルが考案したロータリーエンジンの共同開発を目指し...
新幹線で夜間に広島駅を通過する時、照明に浮かび上がる広島市民球場の臨場感に心奪われた人も多いだろう。常勝球団「広島東洋カープ」の東洋の名は、地元自動車メーカー・マツダの旧社名に由来する。同社の創業家、松田家4代にわたる広島人経営者の波瀾(はらん)万丈の人生を追う。